小川蔵次郎
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小川 蔵次郎(藏次郎、おがわ くらじろう、1853年6月17日(慶應元年8月5日[1][注釈 1])- 1936年(昭和11年)11月25日[2][3])は、明治後期から昭和初期の漁業指導者、実業家、政治家。衆議院議員、島根県島根郡野波村長。
経歴
[編集]出雲国島根郡、のちの島根県[2]島根郡野波村(八束郡野波村[3]、島根村、島根町を経て現松江市島根町野波)で、小川仙四郎の二男として生まれる[1]。漢学を修めた[2][3]。1896年(明治29年)7月、家督を相続した[1]。
1889年(明治22年)野波村長に就任[2][3][4]。また八束郡会議員、同議長を務めた[1][2][3][4]。1906年(明治39年)島根県会議員に選出され2期在任し、参事会員も務めて1912年(明治45年)に退任した[2][3][4]。
1912年5月、第11回衆議院議員総選挙(島根県郡部、立憲政友会)で初当選し[4][5]、1917年(大正6年)4月の第13回総選挙(島根県郡部、立憲政友会)でも再選され[6]、衆議院議員に通算2期在任した[2][3][7]。
実業界では、水産同業組合頭取、八束郡外海水産組合長、島根県水産組合連合会副組長、島根県水産会長、山陽新聞社常務取締役、島根水産取締役などを務めた[1][2][3][7]。
晩年は、松江枕木山に海蔵庵を設けて余生を過ごした[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『島根県歴史人物事典』139頁では嘉永3年(1850年)。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『島根県歴史人物事典』山陰中央新報社、1997年。