寺奴婢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

寺奴婢(じぬひ)は、古代日本律令制における身分制度、社会階級の一つ。

概要[編集]

賎民の身分は更に五分され、その中に、朝廷以外の民間人に従属する者を私奴婢というが、その中で、特に、使用主が(古代寺院)である者のことを、「寺奴婢」と呼称する。

実態[編集]

寺奴婢は、通常の奴婢と同様、寺の支配を受けて、維持管理の業務にあたった。

その中でも特に、境内の清掃(キヨメ)に従事したものと推測される。元々、仏教においては「不浄」(ケガレ)の観念が強く、僧尼令においても、戒律に違反した僧に対する刑罰として、境内の清掃が課せられていた。やがて、「不浄」の観念が、賎民である奴婢とが結びつけられ、寺奴婢に清掃の業務が押し付けられるようになった[1]

出自[編集]

寺奴婢が特定の寺に従属するに至る経緯としては、主に二通りあったとされる。

  • 有力豪族による寄進。創建時に檀那開基などが、経済援助の一環(人件費にかわるもの)として施入した[2]。また、上述の「キヨメ」の観念から、天皇や豪族が寺院境内の「キヨメ」に関与する手段として、自らの奴婢を喜捨して、間接的に「キヨメ」を行った。
  • 有力豪族が政争に敗れて滅亡した時(物部守屋山背大兄王藤原仲麻呂など)、これに隷属していた使用人、場合によっては一族の者が、一族の寺、あるいは勝者の支援する寺に配属された。彼らの場合も、朝廷に反逆をしたという「罪」が、奴婢の「ケガレ」意識と結びついたものと思われる[3]

備考[編集]

  • 寺奴婢が出家をして僧侶になることは、禁じられていた。当時の記録では、天皇の快癒祈祷のために特例として得度が認められた例があるが、これも、奴婢身分のまま得度したのか、一旦良民に解放されたのち得度したのかは、明確でない[4]

出典・脚注[編集]

  1. ^ 神野, pp. 99–101.
  2. ^ 神野, pp. 96.
  3. ^ 神野, pp. 96–98.
  4. ^ 神野, pp. 106–107.

参考文献[編集]

  • 神野清一『卑賤観の系譜』 8巻、吉川弘文館東京都文京区〈歴史文化ライブラリー〉、1997年2月1日。ISBN 4-642-05408-1 

関連項目[編集]