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富士 直時(ふじ なおとき)は、南北朝時代の富士氏当主。
富士氏当主として富士郡を支配する立場にあり、康永4年(1345年)の譲状では子である弥一丸に富士郡各地の所領を譲っている[1]。また富士山本宮浅間大社の神職である富士大宮司でもあり、領主および駿河国一宮の神職筆頭としての立場もあった。「富士大宮司系図」によると、直時の従兄弟として村山修験の修験者とされる頼尊がいるという[2]。
- 富士宮市教育委員会『元富士大宮司館跡』、2000年
- ^ 「富士直時譲状写」(『南北朝遺文 関東編 第3巻』1540号文書)
- ^ 大高康正「富士山信仰の形成と展開」『富士山信仰と修験道』、岩田書院、2003