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宗形清氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宗形 清氏(むなかた の きようじ)は、宗像大社(現在の福岡県宗像市)の初代大宮司光遠親王宗像清氏清氏親王とも。

宇多天皇の皇子と伝わるが、伝承の域を出ない。

昌泰元年(898年)太政大臣源清広猶子となって源姓を賜り、正三位中納言の官位を得た後、延喜14年(914年)3月に宗像神社の宮司となり、天慶元年(938年)まで務めたとされる[1]

子孫は大宮司職を世襲する。子に宗形氏男など。母は藤原継蔭の娘、又若子。

清氏ははじめ光遠親王といい、古代豪族の宗形千世が、難波氏を賜り宗像の地を去ると、宗像神社宮司に就任した際に宗形清氏と改名したとされる。

出自について宇多天皇の末子とも、第4子とも、また弟という説があり、宮司就任が914年と天皇と同時代であることは窺える。

脚注

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  1. ^ 伊東尾四郎編『宗像郡誌 中編』(1931年)

関連項目

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