大野真雄
表示
時代 | 平安時代初期 |
---|---|
生誕 | 天平宝字8年(764年) |
死没 | 弘仁9年12月2日(819年1月1日) |
別名 | 直雄 |
官位 | 従四位上・左近衛中将 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇 |
氏族 | 大野氏 |
父母 | 父:大野真本 |
子 | 真鷹、真菅、鷹子 |
大野 真雄(おおの の まお)は、平安時代初期の貴族。名は直雄とも記される。上総介・大野真本の子とする系図がある。官位は従四位上・左近衛中将。勲等は勲五等。
経歴
[編集]桓武朝にて正五位上に至り、延暦25年(806年)桓武天皇の崩御に際して作路司を務める。平城朝の大同3年(808年)に兵部大輔に任ぜられる。
大同5年(810年)9月に発生した薬子の変に際しては嵯峨天皇側で活動し、左近衛少将に任ぜられると共に、固関使として美濃国の不破関に派遣される。乱後まもなく、従四位下・左兵衛督に昇進した。弘仁2年(811年)左近衛中将に転じて左京大夫を兼ね、弘仁6年(815年)従四位上に至る。
弘仁9年12月2日(819年1月1日)卒去。享年55。最終官位は越前権守従四位上。
官歴
[編集]注記のないものは『日本後紀』による。
- 時期不詳:正五位上
- 延暦25年(806年) 3月18日:作路司(桓武天皇崩御)
- 大同3年(808年) 11月27日:兵部大輔
- 大同5年(810年) 9月10日:美濃使、左近衛少将。9月27日:従四位下、左兵衛督
- 弘仁2年(811年) 正月11日:兼左京大夫。6月1日:左近衛中将
- 弘仁3年(812年) 正月12日:兼丹波守。2月10日:止左京大夫[1]
- 弘仁6年(815年) 正月7日:従四位上
- 時期不詳:越前権守
- 弘仁9年(818年) 12月2日:卒去(越前権守従四位上)