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大江丸

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大江丸(おおえまる、享保7年10月5日1722年11月13日) - 文化2年3月18日1805年4月17日[1])は、江戸時代中期の俳人

安井(やすい)。名は、政胤(まさたね)、幼名が利助(りすけ)、隠居名が宗二(そうじ)。通称は大和屋善右衛門(やまとや ぜんえもん)、江戸店での屋号嶋屋佐右衛門(しまや さえもん)を用いた。に芥室(かいしつ)、舊州(新字体:旧州、ふるくに)、舊國(新字体:旧国、ふるくに)、大江隣(おおえとなり)など。晩年に号した大伴大江丸(おおともの おおえまる)の名で知られる。

大坂出身。飛脚問屋・嶋屋の主人で、家業上諸国を旅したので、交際がきわめて広く、またたいへん筆まめで、そのうえ長寿でもあったので、残した紀行文や随筆、そして発句などは莫大な数にのぼる。そのなかでも『俳懺悔』と『俳諧袋』は、大江丸の作品や心境を知るうえのみならず、当時の俳壇の記録としても貴重な資料になっている。

作風としては京都の蕪村派の影響を受けているが、西山宗因上島鬼貫の模倣をした作品もある。初め笠家旧室に学び、のちに江戸の大島蓼太に私淑し、著書においても蓼太を師として敬っている。

脚注

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  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus