多治比高子

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多治比 高子(たじひ の たかこ、延暦7年(788年) - 天長3年3月2日826年4月12日))は、平安時代嵯峨天皇。官位は贈従一位

生涯[編集]

大同元年(806年)に肥前介に任じられた従五位下多治比氏守の娘[1]で、神野親王(後の嵯峨天皇)に寵愛され、嵯峨天皇即位後の大同4年(809年)に橘嘉智子(のちに皇后)とともに夫人となった[2]弘仁元年(810年)には従三位に叙せられている[3]

弘仁6年(815年)にはとなる[4]。妃は内親王のみに許されていた后妃身分で、高子は臣下から妃になった珍しい例である。天長3年(826年)薨去。死後従一位を追贈された。嵯峨天皇との間に子女はいなかった。

脚注[編集]

  1. ^ 一代要記
  2. ^ 日本後紀』大同4年(809年)六月丁亥条
  3. ^ 『日本後紀』弘仁元年(810年)十一月己未条 
  4. ^ 『日本後紀』弘仁6年(815年)七月壬午条

参考文献[編集]

  • 森田悌『日本後紀 全現代語訳』講談社講談社学術文庫〉、2006年10月。ISBN 4-06-159787-6 
  • 森田悌『日本後紀 全現代語訳』講談社〈講談社学術文庫〉、2006年11月。ISBN 4-06-159788-4 
  • 森田悌『日本後紀 全現代語訳』講談社〈講談社学術文庫〉、2007年2月。ISBN 978-4-06-159789-1 

関連項目[編集]