園井東庵
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園井 東庵(そのい とうあん、享保3年(1718年) - 天明6年12月10日(1787年1月28日))は江戸時代中期の医師。摂津国麻田藩に藩医として仕える一方、貧しい住民の治療につくし、仁医として名を残した。別号に義斎。
生涯
[編集]享保3年(1718年)、筑後国上妻郡福島町(現・福岡県八女市)生まれ[1]。久留米藩儒広津藍渓の甥。35歳のとき、医を志して京に上り、その後各地を放浪した[1]。
明和(1764年 - 1772年)・安永(1772年 - 1780年)年間、摂津国麻田藩主青木氏に召されて藩医となり、豊島郡麻田村(現・大阪府豊中市蛍池)に移住した。東庵は地元の貧しい住民からは診療代を受けず、かえって金子を与えるなどの献身的な治療を行ったといい、多くの逸話を残した[1]。
天明6年12月10日(1787年1月28日)、刀根山村(現・豊中市刀根山元町)において没した。享年69。墓所は安楽寺(豊中市柴原町)[2]。
死後、徳を慕う住民によって「義斎明神」が祀られた[1]。1935年5月、「隠医東菴翁」を顕彰する記念碑が常楽寺(豊中市刀根山元町)に建てられ、現存している。
参考文献
[編集]- 篠原正一『久留米人物誌』(久留米人物誌刊行委員会、1981年)
註
[編集]外部リンク
[編集]- 三善貞司「園井東庵 村民に慕われた麻田藩典医」、大阪日日新聞「なにわ人物伝 -光彩を放つ-」2005年7月9日
- 都市(まち)の語りべ、豊中市公式サイト内
- 安楽寺