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和仁親宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
和仁 親宗
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
父母 父:和仁親続
兄弟 親実親宗
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和仁 親宗(わに ちかむね、? - 1587年12月?)は、戦国時代武将。兄に和仁親実がいる。通称は勘解由。

生涯

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彼は和仁親続とオランダ人の女性との間に生まれたとされる。生年は明らかでないが、大友義鎮が、父和仁親続に宴会の席でポルトガル人から与えられたオランダ人女性を勧めたとの伝承があるので、1549年以降の事であろう。母は幼い頃に死去した。顔は赤く、目は光輝き、高身長で力強かった。その風貌から「人鬼」とも呼ばれていたという[1]。だが、1587年の肥後国人一揆で窮地に追いやられ母の墓に向かう途中行方不明となったとされる。[2]

脚注

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  1. ^ 歴人マガジン編集部. “【 人鬼と呼ばれ… 】肥後に生まれた紅毛碧眼武者、和仁三兄弟の悲話”. 歴人マガジン. 2023年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月11日閲覧。
  2. ^ 『肥後国誌』不明、1772年。