周春

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周 春(しゅう しゅん、Zhou Chun、? - 1864年)は、太平天国の指導者の一人。天地会出身。

略歴[編集]

広東省広州府番禺県出身。1841年三元里事件に参加。1854年李文茂らと蜂起して広州を包囲するが失敗し、北上して韶州を包囲した。1855年湖南省を攻めのぼり、さらに江西省に入った。新昌で太平天国の石達開軍と会合し、その配下に属することとなった。1857年、石達開が天京を離脱すると、それに従って江西省・浙江省福建省・湖南省・広西省を転戦した。1860年譚星陳栄林彩新らとともに石達開軍から離脱し、広東省・江西省・福建省の省境で活動した。1861年、江西省で李世賢軍と合流し、浙江省に向かった。6月に武義を占領し、1年間にわたって保持した。この功で懐王に封ぜられた。1863年に李世賢に従って江蘇省に入ったが鎮江軍に阻まれた。1864年より李世賢・汪海洋に従って福建省と広東省東部を転戦するが、太平天国滅亡後自殺した。

参考文献[編集]

  • 郭穀生・史式編『太平天国大辞典』、中国社会科学出版社