会津定重

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会津 定重 (あいづ さだしげ、? - 1638年3月11日寛永15年2月6日))は、江戸時代前期の人物。会津刑部(あいづ ぎょうぶ)の名で多くの史料に見られる。

前歴不明。島原の乱において一揆勢に組した。原城籠城の際は使武者の肩書きをもって本丸を守備した。

有馬直純の矢文がきっかけで、上役の山田右衛門作坂部源八らと一揆勢からの離反の画策をする。しかし、事が発覚すると即座に捕らえられ、晩になって源八とともにを刎ねられた(『寛明日記』)。

出典[編集]

  • 『Q&A 天草四郎と島原の乱』(熊本出版文化会館、2008年、鶴田倉造/著)