伊藤信恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊藤信恒
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天文5年(1536年
別名 通称:弥四郎
官位 左近助
主君 吉見頼興隆頼
氏族 清和源氏範頼石見吉見氏庶流 伊藤氏
父母 父:伊藤頼在
実信
テンプレートを表示

伊藤 信恒(いとう のぶつね)は、戦国時代武将石見吉見氏家臣。父は伊藤頼在

生涯[編集]

吉見氏家臣の伊藤頼在の子として生まれる。延徳2年(1490年)に父・頼在が石見国鹿足郡吉賀で死去し、その後を継ぐ[1]

その後、信恒は吉見頼興隆頼の2代に仕えて武功を挙げ、天文5年(1536年)に石見国で死去。嫡男の実信が後を継いだ[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『閥閲録』巻66「伊藤彦右衛門」家譜。

参考文献[編集]