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久努麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
久努麻呂
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 不明
別名 氏:阿倍久努
官位 直広肆
主君 天武天皇持統天皇
氏族 久努朝臣
父母 父:久努阿加布
阿倍御田次
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久努 麻呂(くぬ の まろ)は、飛鳥時代の人物。氏は阿倍久努(あべのくぬ)とも記される。のち朝臣冠位は直広肆。

出自

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久努氏(久努臣)は阿倍氏の一族[1]。麻呂を久努阿加布の子とし、麻呂の子に阿倍御田次[2]がいたとする系図がある[3]

経歴

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天武天皇4年(675年)4月8日に麻呂は当摩広麻呂とともに朝廷に参上することを禁じる勅令を受ける[4]。4月14日には麻呂は勅命を帯びた使者に従わなかった罪で官位を剥奪された(このとき冠位は小錦下[5]

その後、麻呂は罪から赦されたらしく、朱鳥元年(686年)天武天皇の葬儀に際して刑官のことを誅している(この時の冠位は直広肆[6]

官歴

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日本書紀』による。

脚注

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  1. ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年
  2. ^ 和銅5年(712年)に久努から阿倍に復姓(『続日本紀』和銅5年11月20日条)。
  3. ^ 「安倍氏系図」(『玉簾』(『吉備安倍小田中井系図』として無窮会文庫蔵)所収)(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 による)
  4. ^ 『日本書紀』天武天皇4年4月8日条
  5. ^ 『日本書紀』天武天皇4年4月14日条
  6. ^ 『日本書紀』朱鳥元年9月29日条

参考文献

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