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中条信実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中条 信実(ちゅうじょう のぶざね、延宝4年(1676年)- 元文4年4月19日1739年5月26日))は、高家旗本中条信慶の長男。初名は信治、信福、信澄。通称は主税。官位は従四位上左少将・大和守。

元禄5年(1692年)11月1日将軍徳川綱吉に御目見する。元禄14年9月18日父信慶の隠居により、家督を相続する。同年9月21日、高家職に就き、従五位下侍従・山城守に叙任する。後に従四位上左少将にまで昇進する。また、対馬守、大和守に改める。元禄15年(1702年)12月22日下野国河内郡などで500石を加増される。正徳3年(1713年)6月18日高家肝煎になる。元文4年(1739年)4月19日死去、64歳。

正妻は中根正武の娘。養子信秀(実弟)ら二男四女あり。実男子は早世。娘は松平信辰三好善政吉川経永笹本忠省にそれぞれ嫁いでいる。


先代
中条信慶
高家中条家第2代当主
1701 - 1739
次代
中条信秀