中村太郎 (大久保利通従者)
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中村 太郎(なかむら たろう、嘉永5年(1852年) - 明治11年(1878年)5月14日)は、初代内務卿・大久保利通の従者。
大坂の生まれだが、親のない捨て子であったのを大久保に拾われて「中村太郎」の名を与えられたという。以後は大久保によく仕え、二頭立ての馬車を引く際には御者を務めた。明治11年(1878年)5月14日、赤坂仮皇居へ向かう途中に島田一郎・長連豪ら不平士族6名に襲われて大久保は殺害され、自身も喉を突かれて殺害された(紀尾井坂の変)。
5月17日、青山墓地に設けられた祭典場で大久保とともに葬所式が行なわれ、「中村太郎及び馬の遺骸も、大久保のすぐかたわらに埋葬された」[1]。
脚注[編集]
- ^ 遠矢『利通暗殺』162頁。
参考文献[編集]
- 遠矢浩規『利通暗殺:紀尾井町事件の基礎的研究』行人社、1986年。ISBN 4905978238
- 1986年に早稲田大学政治経済学部に提出された著者の卒業論文。史学方法論にもとづく学術書として書かれ、指導教授藤原保信「刊行にあたって」が巻頭に付されている