上原政兵衛
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上原 政兵衛[1](うえはら まさべえ[2]、旧姓・松島、1888年(明治21年)4月25日[3] - 没年不明)は、日本の商人(原皮毛皮貿易商)[4]、実業家。
経歴
[編集]福島県西白河郡白河町(現白河市)生まれ[3]。製革業・肥料毛皮貿易商などを営む松島瀧右衛門[5][6]の四男[4][7][8][9]。1910年、先代上原ゆきの入夫となる[7][8][9]。家督を相続する[8][9]。原皮毛皮貿易商を営む[2][7][8]。1938年、紺綬褒章を賜る[7][8]。
上原商事会長、日本毛皮革、富士製革工業、天津大興物産各社長、日本原皮常務を歴任し、1946年に大興物産社長に就任する[2]。
人物
[編集]上原政兵衛について『日本皮革商工人名録』には「浅草亀岡町二の十七、鶴屋、○皮○毛皮販売、○革 牛馬販売」とある[1]
『帝国信用録 第10版 大正6年』には「職業・牛馬生皮、店舗又は住所・浅草亀岡、開業年月・43」とある[10]。
『帝国信用録 第26版 昭和8年』には「職業・皮革、店舗又は住所・浅草吉野、開業年月・大2」とある[11]。
白河市旭町にある生家の「松島家蔵座敷建造物群」は2011年11月11日、歴史的風致形成建造物に指定されている[12]。
趣味は骨董[4][7][8]。宗教は真宗[3]。墓所は同宗の浅草今戸の本龍寺。住所は東京市本郷区向ヶ丘弥生町[4][7][8]、文京区駒込林町[2]、浅草区今戸町[9]。
家族・親族
[編集]- 上原家
- 養父・富蔵[3]
- 妻・ゆき(1892年 - ?、上原富蔵の三女)[4][7][8]
- 男・利男(1912年 - ?、上原商事取締役)[4]
- 養子・安三(1910年 - ?、東京、秋葉金三の三男、日本毛皮革専務)[2]
- 女・芳子(1913年 - ?、安三の妻)[4]
- 親戚
- 松島瀧三(日本毛皮代表、上原商事常務)
脚注
[編集]- ^ a b 『日本皮革商工人名録』浅草区 57、59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月12日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第18版 上』う19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月30日閲覧。
- ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 東京篇』147頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第14版 上』ウ28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月4日閲覧。
- ^ 『帝国信用録 第25版 昭和7年』福島県18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月23日閲覧。
- ^ 『電話早わかり よろつ重寶 大正13年10月現行』白河9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年6月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第13版 上』ウ31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第12版 上』ウ36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月4日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第11版 上』ウ44頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月4日閲覧。
- ^ 『帝国信用録 第10版 大正6年』東京府下(ウ)上217頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月5日閲覧。
- ^ 『帝国信用録 第26版 昭和8年』東京府(ウ)浦、裏、馬、生、幼、上239頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月5日閲覧。
- ^ “(3)歴史的風致形成建造物の指定及び指定候補” (PDF). 白河市. 2023年7月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 浅利新『日本皮革商工人名録』日本皮革時報社、1910年。
- 帝国興信所編『帝国信用録 第10版 大正6年』帝国興信所、1917年。
- 『電話早わかり よろつ重寶 大正13年10月現行』福島實業新聞社、1924年。
- 帝国興信所編『帝国信用録 第25版 昭和7年』帝国興信所、1932年。
- 帝国興信所編『帝国信用録 第26版 昭和8年』帝国興信所、1933年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937-1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第18版 上』人事興信所、1955年。