一場武平
一場武平 いちば ぶへい | |
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生年月日 | 1891年4月5日 |
出生地 |
日本 群馬県吾妻郡吾妻町 (現・東吾妻町) |
没年月日 | 不明 |
出身校 | 岩島高等小学校卒業 |
前職 | 岩島村消防組頭 |
称号 | 勲五等双光旭日章 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1959年4月30日 - 1967年3月 |
吾妻町(原町[注釈 1])議会議長 | |
在任期間 |
1955年3月 - ? 1955年6月 - ? |
吾妻町(原町[注釈 1])議会議員 | |
在任期間 |
1955年3月 - ? 1955年6月 - ? |
岩島村議会議長 | |
在任期間 | 1951年 - ? |
岩島村長 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1947年 - 1951年 |
その他の職歴 | |
岩島村議会議員 岩島村会議員 (1929年 - ? 1951年 - ?) |
一場 武平(いちば ぶへい、1891年〈明治24年〉4月5日[1][2][3] - 没年不詳)は、日本の政治家・軍人。藍綬褒章(1963年)。
来歴
[編集]吾妻町(現・東吾妻町)生まれ[3]。岩島高等小学校卒業[3]。高崎歩兵第15連隊に入営[3]。1921年(大正10年)、岩島村軍人分会会長に就任[3]。1924年(大正13年)、岩島村消防組頭に就任[3]。
1929年(昭和4年)、岩島村会議員に当選した[3]。1933年(昭和8年)同村助役となった[3]。1937年(昭和12年)助役に再任された[3]。同年3月、村会議員の再選を果たした[3]。1941年(昭和16年)8月に助役を辞職した[3]。1942年(昭和17年)7月、村会議員に3選[3]。1943年(昭和18年)同村参与となった[3]。1946年(昭和21年)、岩島村長代理となった[3]。
1947年(昭和22年)村長代理を辞め、公選村長に選出された[3]。1951年(昭和26年)、任期満了で村長を退任して、村議会議員となり、議長に選出された[3]。同年、吾妻郡町村会議長会長になった[1][3]。1955年(昭和30年)3月、周辺自治体との合併により発足した原町[注釈 1]の町議会議員となり、議長となった[3]。同年4月1日、群馬県町村議会議長会長に就任した[3][4]。同年6月、合併後最初の町議会議員選挙でも当選し、再び議長となった[3]。同月、吾妻郡町村議会議長会長に就任した[3]。同年7月には関東地方町村議会議長会長にも就任した[3]。
1959年(昭和34年)4月21日、群馬県町村議会議長会長を退任した[4]。同月30日、吾妻町長に就任[5]。1963年(昭和38年)に再選された[3]。1967年(昭和42年)3月に任期満了に伴い町長職を退いた[3]。
少なくとも1971年(昭和46年)9月28日の段階では故人となっている[6]。
栄典
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『産経日本紳士年鑑 第1版 370コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『群馬年鑑 昭和35年版 295コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 『群馬の人物 29コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『全国町村議会議長会十八年史 238コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『あがつま太田村誌 27コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『あがつま坂上村史 737コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『叙勲名鑑 昭和41年秋季版 213コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション