コンテンツにスキップ

一場武平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
一場武平
いちば ぶへい
生年月日 1891年4月5日
出生地 日本の旗 日本 群馬県吾妻郡吾妻町
(現・東吾妻町
没年月日 不明
出身校 岩島高等小学校卒業
前職 岩島村消防組頭
称号 勲五等双光旭日章

当選回数 2回
在任期間 1959年4月30日 - 1967年3月

吾妻町(原町[注釈 1])議会議長
在任期間 1955年3月 - ?
1955年6月 - ?

吾妻町(原町[注釈 1])議会議員
在任期間 1955年3月 - ?
1955年6月 - ?

岩島村議会議長
在任期間 1951年 - ?

岩島村長
当選回数 1回
在任期間 1947年 - 1951年

その他の職歴
岩島村議会議員
岩島村会議員

1929年 - ?
1951年 - ?)
テンプレートを表示

一場 武平(いちば ぶへい、1891年明治24年〉4月5日[1][2][3] - 没年不詳)は、日本の政治家・軍人。藍綬褒章(1963年)。

来歴

[編集]

吾妻町(現・東吾妻町)生まれ[3]。岩島高等小学校卒業[3]。高崎歩兵第15連隊に入営[3]1921年大正10年)、岩島村軍人分会会長に就任[3]1924年(大正13年)、岩島村消防組頭に就任[3]

1929年昭和4年)、岩島村会議員に当選した[3]1933年(昭和8年)同村助役となった[3]1937年(昭和12年)助役に再任された[3]。同年3月、村会議員の再選を果たした[3]1941年(昭和16年)8月に助役を辞職した[3]1942年(昭和17年)7月、村会議員に3選[3]1943年(昭和18年)同村参与となった[3]1946年(昭和21年)、岩島村長代理となった[3]

1947年(昭和22年)村長代理を辞め、公選村長に選出された[3]1951年(昭和26年)、任期満了で村長を退任して、村議会議員となり、議長に選出された[3]。同年、吾妻郡町村会議長会長になった[1][3]1955年(昭和30年)3月、周辺自治体との合併により発足した原町[注釈 1]の町議会議員となり、議長となった[3]。同年4月1日、群馬県町村議会議長会長に就任した[3][4]。同年6月、合併後最初の町議会議員選挙でも当選し、再び議長となった[3]。同月、吾妻郡町村議会議長会長に就任した[3]。同年7月には関東地方町村議会議長会長にも就任した[3]

1959年(昭和34年)4月21日、群馬県町村議会議長会長を退任した[4]。同月30日、吾妻町長に就任[5]1963年(昭和38年)に再選された[3]1967年(昭和42年)3月に任期満了に伴い町長職を退いた[3]

少なくとも1971年(昭和46年)9月28日の段階では故人となっている[6]

栄典

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ a b c 1956年(昭和31年)に吾妻町と改名[3]

出典

[編集]
  1. ^ a b 産経日本紳士年鑑 第1版 370コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ 群馬年鑑 昭和35年版 295コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 群馬の人物 29コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b 全国町村議会議長会十八年史 238コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ あがつま太田村誌 27コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ あがつま坂上村史 737コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 叙勲名鑑 昭和41年秋季版 213コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション