ワーシフ・アリー・ミールザー・ハーン
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ワーシフ・アリー・ミールザー・ハーン Wasif Ali Mirza Khan | |
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ムルシダーバード太守 | |
ワーシフ・アリー・ミールザー・ハーン | |
在位 | 1906年 - 1947年 |
戴冠式 | 1906年12月25日 |
別号 | ナワーブ |
出生 |
1875年1月7日 ムルシダーバード |
死去 |
1959年10月23日 カルカッタ |
埋葬 | ジャアファルガンジ・セメタリー |
王朝 | ナジャフィー朝 |
父親 | ハサン・アリー・ミールザー・ハーン |
宗教 | イスラーム教 |
ワーシフ・アリー・ミールザー・ハーン(Wasif Ali Mirza Khan, 1875年1月7日 - 1959年10月23日)は、東インドのムルシダーバード太守 (在位:1906年 - 1947年)。ライス・ウッダウラ(Rais ud-Daula)とも呼ばれる。
生涯
[編集]1875年1月7日、ムルシダーバード太守(このときはまだ太守ではない)ハサン・アリー・ミールザー・ハーンの長男として生まれた。
1906年12月25日、父ハサン・アリー・ミールザー・ハーンが死亡し、息子のワーシフ・アリー・ミールザー・ハーンが太守位を継承した[1]。
1947年8月15日、インド・パキスタン分離独立時、ムルシダーバード区域はパキスタンに併合され、ハザールダウリー宮殿にはパキスタンの旗が掲げられた[1]。だが、8月17日にインドはクルナーと交換でムルシダーバードを手に入れ、ハザールダウリー宮殿にはインドの旗が掲げられた[1]。
1953年、インドの西ベンガル州政府はワーシフ・アリー・ミールザー・ハーンの土地をすべて接取した[1]。
1959年10月23日、ワーシフ・アリー・ミールザー・ハーンはカルカッタで死亡した[1]。享年84。