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レイ・アサートン

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レイ・アサートン

レイ・アサートン(Ray Atherton, 1883年3月28日 - 1960年3月14日)は、アメリカ合衆国外交官第二次世界大戦終戦前後に、駐カナダ大使を務めた。

生涯

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1883年3月28日、レイ・アサートンはマサチューセッツ州ブルックラインにおいて誕生した[1]

アサートンは国務省に勤務し、駐ギリシャ臨時代理公使[2](1923年-1924年)、ロンドン大使館参事官(1927年-1937年)[3]、駐ブルガリア特命全権公使(1937年-1939年)[4]、駐デンマーク特命全権公使(1939年-1940年)[5]、国務省ヨーロッパ担当部長(1940年-1943年)[3]、駐カナダ特命全権大使(1943年-1948年)[6]、駐ルクセンブルク特命全権公使(1943年)[7]を務めた。

1960年3月14日、アサートンはワシントンD.C.において脳出血により死去した[1]

注釈

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  1. ^ a b The Political Graveyard(英語)
  2. ^ U.S. Department of State : Chiefs of Mission to Greece(英語)
  3. ^ a b O'Halpin, Eunan (1989). Head of the Civil Service: A Study of Sir Warren Fisher. London, United Kingdom: Routledge. pp. p.298. ISBN 9780415031141 (英語)
  4. ^ U.S. Department of State : Chiefs of Mission to Bulgaria(英語)
  5. ^ U.S. Department of State : Chiefs of Mission to Denmark(英語)
  6. ^ U.S. Department of State : Chiefs of Mission to Canada(英語)
  7. ^ U.S. Department of State : Chiefs of Mission to Luxembourg(英語)
外交職
先代
フレデリック・スターリング
在ブルガリアアメリカ合衆国特命全権公使
1937年10月21日 - 1939年7月5日
次代
ジョージ・ハワード・アール
先代
アルヴィン・マンスフィールド・オウスリー
在デンマークアメリカ合衆国特命全権公使
1939年9月8日 - 1940年6月5日
次代
モネット・デイヴィス
先代
ジェイ・ピアポント・モファット
在カナダアメリカ合衆国特命全権公使
1943年8月3日 - 1943年11月19日
次代
-
(大使に昇格)
先代
ジェイ・ピアポント・モファット
在ルクセンブルクアメリカ合衆国特命全権公使
1943年9月10日 - 1943年10月14日
次代
アンソニー・ジョセフ・ドレクセル・ビドル
先代
-
(公使から昇格)
在カナダアメリカ合衆国特命全権大使
1943年11月19日 - 1948年8月30日
次代
ローレンス・アドルフ・スタインハート