ルキウス・ゲヌキウス・クレプシナ
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ルキウス・ゲヌキウス・クレプシナ L. Genucius L.f. L.n. Clepsina | |
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出生 | 不明 |
死没 | 不明 |
出身階級 | プレブス |
氏族 | ゲヌキウス氏族 |
官職 | 執政官(紀元前271年) |
ルキウス・ゲヌキウス・クレプシナ(ラテン語: Lucius Genucius Clepsina、生没年不詳)は紀元前3世紀初頭の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前271年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
[編集]プレブス(平民)であるゲヌキウス氏族の出身。父も祖父もプラエノーメン(第一名、個人名)はルキウスである。紀元前276年・紀元前270年の執政官ガイウス・ゲヌキウス・クレプシナは兄弟と思われる。またコグノーメンは異なるものの、紀元前303年の執政官ルキウス・ゲヌキウス・アウェンティネンシスが父である可能性がある。クレプシナのコグノーメンが確認できるのはこの兄弟だけであり、後のゲヌキウス氏族にクレプシナを名乗る人物はいない。
経歴
[編集]紀元前271年、クレプシナは執政官に就任。同僚執政官はカエソ・クィンクティウス・クラウドゥスであった[1]。リウィウスの要約ではこの年に、レギウム(現在のレッジョ・ディ・カラブリア)のカンパニア兵が反乱したが鎮圧され、またピケンティアと平和条約が結ばれたとするが、ルキウスの役割は不明である[2]。但し、ハリカルナッソスのディオニュシオスは、レギウムの反乱鎮圧は翌紀元前270年の出来事としている[3]。ルキウスが作戦を開始し、兄弟のガイウスに引き継いだ可能性もある。
脚注
[編集]参考資料
[編集]- ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』
- カピトリヌスのファスティ
- ハリカルナッソスのディオニュシオス『ローマ古代誌』
- Hans Georg Gundel : Genucius 14. In: The Little Pauly (KlP). Volume 2, Stuttgart 1967, Sp. 748.
- T. Robert S. Broughton : The Magistrates Of The Roman Republic. Volume 1: 509 BC - 100 BC (= Philological Monographs Vol. 15, Part 1, ZDB- ID 418575-4 ). American Philological Association, New York NY 1951, p. 198, (Unchanged reprint 1968).
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 ルキウス・パピリウス・クルソル II スプリウス・カルウィリウス・マクシムス II |
執政官 同僚:カエソ・クィンクティウス・クラウドゥス 紀元前271年 |
次代 ガイウス・ゲヌキウス・クレプシナ II グナエウス・コルネリウス・ブラシオ I |