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ルキウス・アエミリウス・バルブラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ルキウス・アエミリウス・バルブラ
Lucius Aemilius Barbula
(L. Aemilius Q. f. Q. n. Barbula)
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 アエミリウス氏族
官職 執政官(紀元前281年)
プロコンスル(紀元前280年)
ケンソル(紀元前269年)
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ルキウス・アエミリウス・バルブララテン語: Lucius Aemilius Barbula)は共和政ローマパトリキ(貴族)出身の政治家・軍人。紀元前281年執政官(コンスル)を務めた。

経歴

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紀元前282年、即ちバルブラが執政官に就任する1年前、ローマとターレス(現在のターラント)の間に揉め事が生じていた。ターレスに寄航しようとしたローマ船が攻撃・略奪され、その詰問に出向いたローマ外交使節は侮辱された。これを受けて元老院は、サムニウムと戦っていたバルブラに対し、ターレスに向けて軍を動かすように命令した。彼の使命は再度の交渉であったが、もしそれが拒否された場合は、宣戦布告するように指示されていた[1]

ターレスは再度ローマとの交渉を拒否した。ターレス単独ではローマに対抗することは出来なかったため、エペイロスピュロスに支援を求めた。これを察知したバルブラはターレスへの攻撃を開始し、野戦でターレス軍を破るとともに、いくつかの都市を陥落させた[2]

ピュロスが先遣として派遣したミロがイタリア半島に上陸すると、海岸沿いの狭い道でバルブラの軍を攻撃した[3]。道の片側は山で、沖合いにはターレスの艦隊が遊弋し、ローマ軍に対して矢を射掛けて来た。バルブラは側面に捕虜にしたターレス兵を置き、ターレス軍に攻撃を躊躇させた。こうしてバルブラはターレス軍の攻撃から逃れることができた[4]

執政官の任期が終了しても、バルブスはプロコンスル(前執政官)として引き続きイタリア南部での軍事作戦を続けた。ターレス、サムニウム、メサッピアに対する勝利を祝って、紀元前280年にはローマで凱旋式を実施している[5]

紀元前269年には監察官(ケンソル)を務めた。

出典

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  1. ^ アッピアノス『ローマ史』、「サムニウムとの戦い」VIII, 3
  2. ^ オロシウス『異教徒に反駁する歴史』IV, 1
  3. ^ Joannes Zonaras, "Chronicle", VII, 2
  4. ^ セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス『戦略書』、IV, 1
  5. ^ 凱旋式のファスティ

関連項目

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公職
先代
ガイウス・ファブリキウス・ルスキヌス
クィントゥス・アエミリウス・パプス
執政官
同僚:クィントゥス・マルキウス・ピリップス
紀元前281年
次代
プブリウス・ウァレリウス・ラエウィヌス
ティベリウス・コルンカニウス