ルイジアナ州選出のアメリカ合衆国上院議員
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以下は、ルイジアナ州選出のアメリカ合衆国上院議員の一覧である。
ルイジアナ州は、1812年4月30日に連邦に加わった。同州の上院での議席は、連邦からの離脱により、1861年3月に空席とされた。1868年7月以降、再び元に戻された。
上院議員一覧
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第2部 第2部の上院議員は西暦年を6で除算したときの剰余が3と等しい年が任期末である。最近では1996年, 2002年, 2008年, 2014年,2020年に改選されている。次の選挙は2026年を予定している。 |
議会 |
第3部 第3部の上院議員は西暦年を6で除算したときの剰余が5と等しい年が任期末である。最近では1998年, 2004年,2010年,2016年に改選されている。次の選挙は2022年を予定している。 | ||||||||||
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# | 氏名 | 所属政党 | 在職期間 | 選挙歴 | 任期 | 任期 | 選挙歴 | 在職期間 | 所属政党 | 氏名 | # | |
空席 | 1812年4月30日 – 1812年9月3日 |
連邦加盟の4か月後まで上院議員を選出せず | 1 | 12 | 1 | 連邦加盟の4か月後まで上院議員を選出せず | 1812年4月30日 – 1812年9月3日 |
空席 | ||||
1 | ジーン・ノエル・デストレーアン |
民主共和党 | 1812年9月3日 – 1812年10月1日 |
辞職 | 1812年選出 | 1812年9月3日 – 1813年3月3日 |
民主共和党 | アラン・ボウイ・マグルーダー | 1 | |||
空席 | 1812年10月1日 – 1812年10月8日 |
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2 | トマス・ポウズィー |
民主共和党 | 1812年10月8日 – 1813年2月4日 |
デストレーアンの任期を引き継ぐため任命 補欠選挙で敗北 | ||||||||
3 | ジェームズ・ブラウン |
民主共和党 | 1813年2月5日 – 1817年3月3日 |
デストレーアンの任期を満了するため選出 再選に失敗 | ||||||||
13 | 2 | 1813年選出 引退 |
1813年3月4日 – 1819年3月3日 |
民主党 | エリギウス・フロメンティン | 2 | ||||||
14 | ||||||||||||
4 | ウィリアム・C・C・クレイボーン |
民主共和党 | 1817年3月4日 – 1817年11月23日 |
1817年選出 死去 |
2 | 15 | ||||||
空席 | 1817年11月23日 – 1818年1月12日 |
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5 | ヘンリー・ジョンソン |
民主共和党 | 1818年1月12日 – 1824年3月27日 |
クレイボーンの任期を満了するため任命 | ||||||||
16 | 3 | 1819年選出 駐フランス公使に就任するため辞職 |
1819年3月4日 – 1823年12月10日 |
民主 共和党 |
ジェームズ・ブラウン |
3 | ||||||
17 | ||||||||||||
アダムス=クレー民主 共和党 |
1823年選出 ルイジアナ州知事就任のため辞職 |
3 | 18 | アダムス=クレー民主 共和党 | ||||||||
1823年12月10日 – 1824年1月15日 |
空席 | |||||||||||
ブラウンの任期を満了するため任命 | 1824年1月15日 – 1833年5月19日 |
アダムス=クレー 共和党 |
ジョサイア・S・ジョンストン |
4 | ||||||||
空席 | 1824年5月27日 – 1824年11月19日 |
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6 | チャールズ・D・J・ブーリニー |
アダムス=クレイ 共和党 |
1824年11月19日 – 1829年3月3日 |
ジョンソンの任期を満了するため選出 | ||||||||
反 ジャクソン党 |
19 | 4 | 1825選出 | 反 ジャクソン党 | ||||||||
アダムス党 | 20 | アダムス党 | ||||||||||
7 | エドワード・リヴィングストン |
ジャクソン党 | 1829年3月4日 – 1831年5月24日 |
1829年選出[1] 国務長官就任のため辞職 |
4 | 21 | 反 ジャクソン党 | |||||
22 | 5 | 1831年再選 死去 | ||||||||||
空席 | 1831年5月24日 – 1831年11月15日 |
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8 | ジョージ・A・ワッガマン |
反 ジャクソン党 |
1831年11月15日 – 1835年3月3日 |
リヴィングストンの任期を満了するため選出 | ||||||||
23 | ||||||||||||
1833年5月19日 – 1833年12月19日 |
空席 | |||||||||||
ジョンソンの任期を満了するため選出 病気のため辞職 |
1833年12月19日 – 1837年1月5日 |
反ジャクソン党 | アレクザンダー・ポーター |
5 | ||||||||
空席 | 1835年3月4日 – 1836年1月13日 |
チャールズ・ガヤルが1835年に選出されたが,病気のため辞職 | 5 | 24 | ||||||||
9 | ロバート・C・ニコラス |
ジャクソン党 | 1836年1月13日 – 1841年3月3日 |
ガヤルの任期を満了するため選出 | ||||||||
1837年1月5日 – 1837年1月12日 |
空席 | |||||||||||
ポーターの任期を満了するため選出 | 1837年1月12日 – 1842年3月1日 |
ジャクソン党 | アレグザンダー・ムートン |
6 | ||||||||
民主党 | 25 | 6 | 1837年再選 辞職 |
民主党 | ||||||||
26 | ||||||||||||
10 | アレグザンダー・バロウ |
ホイッグ党 | 1841年3月4日 – 1846年12月29日 |
1840年選出 死去 |
6 | 27 | ||||||
1842年3月1日 – 1842年4月14日 |
空席 | |||||||||||
ムートンの任期を満了するため任命 再選に失敗 |
1842年4月14日 – 1843年3月3日 |
ホイッグ党 | チャールズ・マギル・コンラッド |
7 | ||||||||
28 | 7 | 1843年選出,病気のため議席に就かず 死去 |
1843年3月4日 – 1844年1月13日 |
ホイッグ党 | アレグザンダー・ポーター |
8 | ||||||
1844年1月13日 – 1844年2月12日 |
空席 | |||||||||||
ポーターの任期を満了するため選出 再選に失敗 |
1844年2月12日 – 1849年3月3日 |
ホイッグ党 | ヘンリー・ジョンソン |
9 | ||||||||
29 | ||||||||||||
空席 | 1846年12月29日 – 1847年1月21日 |
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11 | ピエール・スレ |
民主党 | 1847年1月21日 – 1847年3月3日 |
バロウの任期を満了するため選出 | ||||||||
12 | ソロモン・W・ダウンズ |
民主党 | 1847年3月4日 – 1853年3月3日 |
1847年選出 |
7 | 30 | ||||||
31 | 8 | 1848年選出 駐スペイン公使に就任のため辞職 |
1849年3月3日 – 1853年4月11日 |
民主党 | ピエール・スレ |
10 | ||||||
32 | ||||||||||||
13 | ジュダ・ベンジャミン |
ホイッグ党 | 1853年3月4日 – 1861年2月4日 |
1852年選出. | 8 | 33 | ||||||
1853年4月11日 – 1853年12月5日 |
空席 | |||||||||||
スレの任期を満了するため選出 | 1853年12月5日 – 1861年2月4日 |
民主党 | ジョン・スライデル |
11 | ||||||||
34 | 9 | 再選年不明 辞職 | ||||||||||
民主党 | 35 | |||||||||||
1859年再選 脱退 |
9 | 36 | ||||||||||
空席 | 1861年2月4日 – 1868年7月8日 |
南北戦争とレコンストラクション | 南北戦争とレコンストラクション | 1861年2月4日 – 1868年7月9日 |
空席 | |||||||
37 | 10 | |||||||||||
38 | ||||||||||||
10 | 39 | |||||||||||
40 | 11 | |||||||||||
14 | ジョン・S・ハリス |
共和党 | 1868年7月8日 – 1871年3月3日 |
空席間の任期を満了するため選出 | ||||||||
空席間の任期を満了するため選出 ルイジアナ州知事就任のため辞職 |
1868年7月9日 – 1872年11月1日 |
共和党 | ウィリアム・P・ケロッグ |
12 | ||||||||
41 | ||||||||||||
15 | ジョーゼフ・R・ウェスト |
共和党 | 1871年3月4日 – 1877年3月3日 |
選出年不明 引退 |
11 | 42 | ||||||
上院の紛争により空席[2] | 1872年11月1日 – 1876年1月12日 |
空席. | ||||||||||
43 | 12 | |||||||||||
44 | ||||||||||||
1876年空席間の任期を満了するため選出 再選に失敗 |
1876年2月12日 – 1879年3月3日 |
民主党 | ジェームズ・B・ユースティス |
13 | ||||||||
16 | ウィリアム・P・ケロッグ |
共和党 | 1877年3月4日 – 1883年3月3日 |
1876年選出 下院選出馬のため引退 |
12 | 45 | ||||||
46 | 13 | 1879年選出 再選に失敗 |
1879年3月4日 – 1885年3月3日 |
民主党 | ベンジャミン・F・ジョナス |
14 | ||||||
47 | ||||||||||||
17 | ランドール・L・ギブソン |
民主党 | 1883年3月4日 – 1892年12月15日 |
1882年選出 | 13 | 48 | ||||||
49 | 14 | 選出年不明 引退 |
1885年3月4日 – 1891年3月3日 |
民主党 | ジェームズ・ユースティス |
15 | ||||||
50 | ||||||||||||
1889年再選 死去 |
14 | 51 | ||||||||||
52 | 15 | 1891年選出 連邦最高裁判事就任のため辞職 |
1891年3月4日 – 1894年3月12日 |
民主党 | エドワード・ダグラス・ホワイト |
16 | ||||||
空席 | 1892年12月15日 – 1892年12月31日 |
|||||||||||
18 | ドネルソン・キャフェリー |
民主党 | 1892年12月31日 – 1901年3月3日 |
ギブソンの任期を引き継ぐため任命 1894年5月23日ギブソンの任期を満了するため選出 [3] | ||||||||
53 | ||||||||||||
ホワイトの任期を引き継ぐため任命 1894年5月23日ホワイトの任期を満了するため選出[4] 引退 |
1894年3月12日 – 1897年3月3日 |
民主党 | ニュートン・ブランチャード |
17 | ||||||||
1894年再選 引退 |
15 | 54 | ||||||||||
55 | 16 | 1896年5月28日選出[5] | 1897年3月4日 – 1910年6月28日 |
民主党 | サミュエル・D・マケナリー |
18 | ||||||
56 | ||||||||||||
19 | マーフィー・J・フォスター |
民主党 | 1901年3月4日 – 1913年3月3日 |
1900年5月22日選出[6] | 16 | 57 | ||||||
58 | 17 | 1900年5月22日再選[6] | ||||||||||
59 | ||||||||||||
1904年5月18日再選[7] 再指名に失敗 |
17 | 60 | ||||||||||
61 | 18 | 1908年5月19日再選[8] 死去 | ||||||||||
1910年6月28日 – 1910年12月7日 |
空席 | |||||||||||
マクナリーの任期を満了するため選出[4] 引退 |
1910年12月7日 – 1915年3月3日 |
民主党 | John Thornton|ジョン・ソーントン |
19 | ||||||||
62 | ||||||||||||
20 | ジョーゼフ・ランズデル |
民主党 | 1913年3月4日 – 1931年3月3日 |
1912年5月21日選出 | 18 | 63 | ||||||
64 | 19 | 1912年5月21日選出 死去 |
1915年3月4日 – 1918年4月12日 |
民主党 | ロバート・F・ブラッサード |
20 | ||||||
65 | ||||||||||||
1918年4月12日 – 1918年4月22日 |
空席 | |||||||||||
ブラッサードの任期を引き継ぐため任命 後継が議員資格を得た際に引退 |
1918年4月22日 – 1918年11月5日 |
民主党 | ウォルター・グィオン |
21 | ||||||||
ブラッサードの任期を満了するため選出 引退 |
1918年11月6日 – 1921年3月3日 |
民主党 | エドワード・ジェームズ・ゲイ |
22 | ||||||||
1918年再選 | 19 | 66 | ||||||||||
67 | 20 | 1920年選出 | 1921年3月4日 – 1933年3月3日 |
民主党 | エドウィン・S・ブラッサード |
23 | ||||||
68 | ||||||||||||
1924年再選 再指名に失敗 |
20 | 69 | ||||||||||
70 | 21 | 1926年再選 再指名に失敗 | ||||||||||
71 | ||||||||||||
21 | ヒューイ・ロング |
民主党 | 1931年3月4日 – 1935年9月10日 |
1930年選出されたが引き続きルイジアナ州知事として在任。1932年1月25日まで議席に就かず。 死去 |
21 | 72 | ||||||
73 | 22 | 1932年選出 | 1933年3月4日 – 1948年5月14日 |
民主党 | ジョン・H・オーヴァートン |
24 | ||||||
74 | ||||||||||||
空席 | 1935年9月10日 – 1936年1月31日 |
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22 | ローズ・マコネル・ロング |
民主党 | 1936年1月31日 – 1937年1月2日 |
ヒューイ・ロングの任期を引き継ぐため任命 1936年4月21日ヒューイ・ロングの任期を満了するため選出[3] 引退 | ||||||||
23 | アレン・エレンダー |
民主党 | 1937年1月3日 – 1972年7月27日 |
1936年選出 | 22 | 75 | ||||||
76 | 23 | 1938年再選 | ||||||||||
77 | ||||||||||||
1942年再選 | 23 | 78 | ||||||||||
79 | 24 | 1944年再選 死去 | ||||||||||
80 | ||||||||||||
1948年5月14日 – 1948年5月18日 |
空席 | |||||||||||
オーヴァートンの任期を引き継ぐため任命 後継の議員資格取得時に引退 |
1948年5月18日 – 1948年12月30日 |
民主党 | ウィリアム・C・フィーゼル |
25 | ||||||||
オーヴァートンの任期を満了するため選出 | 1948年12月31日 – 1987年1月3日 |
民主党 | ラッセル・ロング |
26 | ||||||||
1948年再選 | 24 | 81 | ||||||||||
82 | 25 | 1950年再選 | ||||||||||
83 | ||||||||||||
1954年再選 | 25 | 84 | ||||||||||
85 | 26 | 1956年再選 | ||||||||||
86 | ||||||||||||
1960年再選 | 26 | 87 | ||||||||||
88 | 27 | 1962年再選 | ||||||||||
89 | ||||||||||||
1966年再選 死去 |
27 | 90 | ||||||||||
91 | 28 | 1968年再選 | ||||||||||
92 | ||||||||||||
空席 | 1972年7月27日 – 1972年8月1日 |
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24 | イーレン・S・エドワーズ |
民主党 | 1972年8月1日 – 1972年11月13日 |
エレンダーの任期を引き継ぐため任命 後継の議員資格取得により引退 | ||||||||
25 | ベネット・ジョンストン |
民主党 | 1972年11月14日 – 1997年1月3日 |
エレンダーの任期を満了するため選出 | ||||||||
1972年再選 | 28 | 93 | ||||||||||
94 | 29 | 1974年再選 | ||||||||||
95 | ||||||||||||
1978年再選 | 29 | 96 | ||||||||||
97 | 30 | 1980年再選 引退 | ||||||||||
98 | ||||||||||||
1984年再選 | 30 | 99 | ||||||||||
100 | 31 | 1986年選出 | 1987年1月3日 – 2005年1月3日 |
民主党 | ジョン・ブルー |
27 | ||||||
101 | ||||||||||||
1990年再選 引退 |
31 | 102 | ||||||||||
103 | 32 | 1992年再選 | ||||||||||
104 | ||||||||||||
26 | メアリー・ランドリュー |
民主党 | 1997年1月3日 – 2015年1月3日 |
1996年選出 | 32 | 105 | ||||||
106 | 33 | 1998年再選 引退 | ||||||||||
107 | ||||||||||||
2002年再選 | 33 | 108 | ||||||||||
109 | 34 | 2004年選出 | 2005年1月3日 – 2017年1月3日 |
共和党 | デイヴィッド・ヴィッター |
28 | ||||||
110 | ||||||||||||
2008年再選 再選に失敗 |
34 | 111 | ||||||||||
112 | 35 | 2010年再選 引退[9] | ||||||||||
113 | ||||||||||||
27 | ビル・カシディ |
共和党 | 2015年1月3日 – 現職 |
2014年選出 | 35 | 114 | ||||||
115 | 36 | 2016年選出 | 2017年1月3日 – 現職 |
共和党 | ジョン・ニーリー・ケネディ |
29 | ||||||
116 | ||||||||||||
2020年再選 | 36 | 117 | ||||||||||
118 | 37 | 2022年改選予定 | ||||||||||
119 | ||||||||||||
2026年改選予定 | 37 | 120 | ||||||||||
# | 氏名 | 所属政党 | 在職期間 | 選挙歴 | 任 期 |
任 期 |
選挙歴 | 在職期間 | 所属政党 | 氏名 | # | |
第2部 | 第3部 |
脚注
[編集]- ^ “The Hon. Edward Livingston, at present a member of Congress from the State of Louisiana, was on the 12th ult. appointed by the Legislature of that State, a Senator in Congress, vice Mr. Bouligny, whose term of service expires on the 3d of March next.”. Raleigh Register (Raleigh, NC): p. 3. (February 6, 1829)
- ^ Taft, et al., p. 483–512.
- ^ a b Byrd, p. 114.
- ^ a b Byrd, p. 115.
- ^ “M'ENERY ELECTED SENATOR.”. The New York Times. (May 29, 1896). p. 5
- ^ a b “Louisiana Senators Elected.”. The New York Times. (May 23, 1900). p. 2
- ^ Official Journal of the Proceedings of House of Representatives of the State of Louisiana at the Regular Session of the General Assembly. (1904). p. 76
- ^ “Senator McEnery Succeeds Himself.”. The New York Times. (May 20, 1900). p. 2
- ^ Robillard, Kevin (November 21, 2015). “Edwards beats Vitter in Louisiana governor's race”. Politico. November 21, 2015閲覧。