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ラウル2世・ド・リュジニャン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラウル2世・ド・リュジニャン
Raoul II de Lusignan
ウー伯
在位 1219年 - 1246年

出生 1200年ごろ
死去 1246年9月1/2日
埋葬 フランス王国、フカルモン修道院
配偶者 ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ
  ヨランド・ド・ドルー
  フィリッパ・ド・ダンマルタン
子女 マリー
家名 リュジニャン家
父親 ウー伯ラウル1世・ド・リュジニャン
母親 ウー女伯アリックス
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ラウル2世・ド・リュジニャン(Raoul II de Lusignan, 1200年ごろ - 1246年9月1/2日)は、ラウル1世・ド・リュジニャンウー女伯アリックスの息子[1]。1219年に父の死によりエクソダン領主およびウー伯の位を継承した[2]

結婚と子女

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1222年にブルゴーニュ公ウード3世の娘ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ(1200年 - 1223年、フカルモン修道院に埋葬)と結婚した[3]

1223年以降にドルー伯ロベール2世の娘ヨランド・ド・ドルー(1196年 - 1239年10月16日)と結婚し[4]、1女をもうけた。

3度目にオマール伯シモン・ド・ダンマルタンとポンチュー女伯マリーの娘フィリッパ・ド・ダンマルタンと結婚した[5]

脚注

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  1. ^ Pollock 2015, p. 265.
  2. ^ Painter 1955, p. 376.
  3. ^ Adamo 2014, p. 60.
  4. ^ a b Pollock 2015, p. 147.
  5. ^ Pollock 2015, p. 145.

参考文献

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  • Adamo, Phillip C. (2014). New Monks in Old Habits: The Formation of the Caulite Monastic Order, 1193-1267. Pontifical Institute of Mediaeval Studies 
  • Recueil des Historiens des Gaules et de la France. 23. Paris: H. Welter. (1894). https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k50141v 
  • Painter, Sidney (1955). “The Houses of Lusignan and Chatellerault 1150-1250”. Speculum 30 (3): 374–384. doi:10.2307/2848076. JSTOR 2848076. https://www.jstor.org/stable/2848076. 
  • Pollock, Melissa A. (2015). Scotland, England and France After the Loss of Normandy, 1204-1296: Auld Amitie. Woodbridge: The Boydell Press. ISBN 9781843839927. https://books.google.com/books?id=8aGfBwAAQBAJ 
先代
ラウル1世
ウー伯
1219年 - 1246年
次代
マリー