ラウル2世・ド・リュジニャン
表示
ラウル2世・ド・リュジニャン Raoul II de Lusignan | |
---|---|
ウー伯 | |
在位 | 1219年 - 1246年 |
出生 |
1200年ごろ |
死去 |
1246年9月1/2日 |
埋葬 | フランス王国、フカルモン修道院 |
配偶者 | ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ |
ヨランド・ド・ドルー | |
フィリッパ・ド・ダンマルタン | |
子女 | マリー |
家名 | リュジニャン家 |
父親 | ウー伯ラウル1世・ド・リュジニャン |
母親 | ウー女伯アリックス |
ラウル2世・ド・リュジニャン(Raoul II de Lusignan, 1200年ごろ - 1246年9月1/2日)は、ラウル1世・ド・リュジニャンとウー女伯アリックスの息子[1]。1219年に父の死によりエクソダン領主およびウー伯の位を継承した[2]。
結婚と子女
[編集]1222年にブルゴーニュ公ウード3世の娘ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ(1200年 - 1223年、フカルモン修道院に埋葬)と結婚した[3]。
1223年以降にドルー伯ロベール2世の娘ヨランド・ド・ドルー(1196年 - 1239年10月16日)と結婚し[4]、1女をもうけた。
3度目にオマール伯シモン・ド・ダンマルタンとポンチュー女伯マリーの娘フィリッパ・ド・ダンマルタンと結婚した[5]。
脚注
[編集]- ^ Pollock 2015, p. 265.
- ^ Painter 1955, p. 376.
- ^ Adamo 2014, p. 60.
- ^ a b Pollock 2015, p. 147.
- ^ Pollock 2015, p. 145.
参考文献
[編集]- Adamo, Phillip C. (2014). New Monks in Old Habits: The Formation of the Caulite Monastic Order, 1193-1267. Pontifical Institute of Mediaeval Studies
- Recueil des Historiens des Gaules et de la France. 23. Paris: H. Welter. (1894)
- Painter, Sidney (1955). “The Houses of Lusignan and Chatellerault 1150-1250”. Speculum 30 (3): 374–384. doi:10.2307/2848076. JSTOR 2848076 .
- Pollock, Melissa A. (2015). Scotland, England and France After the Loss of Normandy, 1204-1296: Auld Amitie. Woodbridge: The Boydell Press. ISBN 9781843839927
|
|
|