モーリー男爵 (Mauley)

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モーリー男爵(英:Baron Mauley)は、かつて存在したイギリスの男爵位。イングランド貴族爵位。

歴史[編集]

かつての一族の居城であるマルグレイブ城英語版の遺構。

モーリー家は元来フランスに住まう一族であったとされており、その姓もポワトゥー地方の小村モレ英語版(Maulay)に由来するものであるという[1]

その祖ピーター・ド・モーリー英語版(?-1241)は13世紀初頭にイングランドに渡り、ジョン王に仕えた[註釈 1][2][3]

その孫にあたるピーター・モーリー(1249-1308)は、1295年6月24日モーリー男爵(Baron Mauley)として貴族院から議会招集を受けた[4]。その後も、初代男爵の系統で爵位は継承された。

しかし5代男爵ピーターの死去に際して、爵位は保持者不在(Abeyance)となって現在に至っている[5]

彼の死後は、甥にあたるラルフ・ビゴッド(1410-1461)が一族の邸宅であったマルグレイブ城英語版を相続して、モーリー卿を仮冒したという[6][7]。しかし、ラルフも1461年薔薇戦争下のタウトンの戦いで戦死している[8]

なお、1838年ウィリアム・ポンソンビー英語版連合王国貴族爵位のド・モーリー男爵(Baron de Mauley)に叙されたが、これは彼の妻であるバーバラ・アシュリー=クーパーがモーリー男爵家の子孫であり、かつ停止した爵位の共同相続人であったことに因む[9][10][11]

モーリー男爵(1295年)[編集]

  • 初代モーリー男爵ピーター・モーリー(1249-1308)
  • 第2代モーリー男爵ピーター・モーリー(1281-1336?)
  • 第3代モーリー男爵ピーター・モーリー (1300-1355年)
  • 第4代モーリー男爵ピーター・モーリー (1331頃–1383)
  • 第5代モーリー男爵ピーター・モーリー (1378-1415年頃)(1415年に爵位保持者不在となり停止)

脚注[編集]

註釈[編集]

  1. ^ 彼は「邪悪なる君臣(evil counsellors)」と呼ばれて、ジョン欠地王の奸臣の一人とされた。

出典[編集]

  1. ^ Maulay [Malo Lacu, Peter de (d. 1241), knight and royal councillor | Oxford Dictionary of National Biography]” (英語). www.oxforddnb.com. doi:10.1093/ref:odnb/9780198614128.001.0001/odnb-9780198614128-e-18375. 2020年1月15日閲覧。
  2. ^ Kingsford 1896, p. 516.
  3. ^ Vincent Peter des Roches p. 26 footnote 60
  4. ^ Clay 1932, p. 561.
  5. ^ Clay 1932, p. 571.
  6. ^ Dickens 1982, p. 54.
  7. ^ Ross 1974, p. 68 n. 5.
  8. ^ Dickens 1982, pp. 54–55.
  9. ^ No.19629”. The Gazette 26 June 1838. 2020年1月11日閲覧。
  10. ^ Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse 
  11. ^ de Mauley, Baron (UK, 1838)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月11日閲覧。

参考図書[編集]

関連項目[編集]