ミールザー・ジャワーン・バフト (バハードゥル・シャー2世の皇子)
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ミールザー・ジャワーン・バフト Mirza Jawan Bakht | |
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ムガル帝国皇子 | |
全名 | ミールザー・ムハンマド・ジャワーン・バフト |
出生 |
1841年 デリー、デリー城 |
死去 |
1884年9月18日 ビルマ、ラングーン |
父親 | バハードゥル・シャー2世 |
母親 | ズィーナト・マハル |
宗教 | イスラーム教(スンナ派) |
ミールザー・ジャワーン・バフト(Mirza Jawan Bakht, 1841年 - 1884年9月18日)は、北インド、ムガル帝国の第17代皇帝バハードゥル・シャー2世の18男。
生涯
[編集]1841年、ムガル帝国の皇帝バハードゥル・シャー2世とその妃ズィーナト・マハルとの間に生まれた[1]。
1856年7月、皇太子である兄ミールザー・ファトフル・ムルクが死亡したのち、他の兄たちがその継承を放棄したため、ミールザー・ジャワーン・バフトが皇太子となった。
1857年5月、インド大反乱が勃発すると、同時にミールザー・ジャワーン・バフトは父の命により帝国の宰相(ワズィール)に任命された[1]。
同年にデリーがイギリスに制圧されたのち、1858年に父や母といった家族とともにビルマのラングーンへ追放され、1884年9月18日にその地で没した [1]。