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ミハイル・レイスネル

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ミハイル・アンドレヴィッチ・レイスネルロシア語: Михаил Андреевич Рейснер、ラテン文字表記例: Mikhail Andreevich Reisner1868年 - 1928年)は、ロシア法学者

人物

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ソ連初期の法学者。1917年までサンクトペテルブルク大学私講師。

法を「インペラティフ的・属性的体験」と見るロシアの法心理学者ペトラジツキー心理学的法理論の後継者で、その理論を発展させて「社会的秩序の事実上の基礎と、これに対応する社会的法生活の現実の梃子」は実定法ではなく、立法以前に存在する「直観法」であると主張した。しかし、この「直観」の階級的・社会的性格を強調して、「階級的直観法」の理論を展開した[1]

主な著作

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  • 『エル・イ・ペトラジツキーの理論、マルクス主義および社会的イデオロギー』1908年
  • 『国家』第1部、1919年
  • 『ソヴェト憲法要綱』1920年
  • 『ブルジョア国家とロシア連邦共和国』1923年
  • 『法』1925年
  • 『社会心理学の諸問題』1925年
  • 『東洋のイデオロギー』1927年
  • 『政治学史』第1巻、1929年

参考文献

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関連項目

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脚注

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  1. ^ パシュカーニス『法の一般理論とマルクス主義』(稲子恒夫訳,日本評論社,1958年)解題