ミス・ワールド1966
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ミス・ワールド1966 | |
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開催日 | 1966年11月17日 |
司会者 | Peter West, Michael Aspel [1] |
会場 | リセウム・ボールルーム(ロンドン) |
放送局 | BBC One |
参加 | 51 |
入賞 | 15 |
初参加 | バハマ、ドミニカ共和国、ガイアナ、フィリピン、ユーゴスラビア |
不参加 | オーストラリア、オーストリア、コロンビア、ニカラグア、パラグアイ、ローデシア、スペイン、ウルグアイ |
再参加 | スイス、ノルウェー、インド、チリ、オランダ領アンティル、トルコ |
優勝者 |
レイタ・ファリア インド |
前回 | 1965 |
次回 | 1967 |
ミス・ワールド1966(第16回ミス・ワールド決勝)は、1966年11月17日、ロンドンのリセウム・ボールルーム(現リセウム・シアター)で開催された[1]。インド代表のレイタ・ファリアが優勝し、審査員の一人であるLady Annabel Birleyによって戴冠された。アジア諸国の代表がミス・ワールドになるのはこれが初である。日本代表の小早志春美は入賞できなかった。
結果
[編集]順位 | 出場者 |
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ミス・ワールド1966 | |
1st runner-up |
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2nd runner-up |
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3rd runner-up |
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4th runner-up |
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Top 7(ファイナリスト) | |
Top 15(セミファイナリスト) |
([2])
出場者
[編集]- アルゼンチン – Graciela Guardone
- オランダ領アンティル – Reina Patricia Hernandez
- バハマ – Dorothy Cooper
- ベルギー – Mireille de Man
- ブラジル – Marlucci Manvailler Rocha
- カナダ – Diane Coulter
- セイロン – Priscilla Martensyn
- チリ – Amelia Galaz
- コスタリカ – Sonia Mora
- キプロス – Annoula Alvaliotou
- デンマーク – Irene Poller Hansen
- ドミニカ共和国 – Jeanette Dotel Montes de Oca
- エクアドル – Alejandra Vallejo Klaere
- フィンランド – Marita Gellman
- フランス – Michèle Boulé
- ガンビア – Oumie Barry
- ドイツ – Jutta Danske
- ジブラルタル – Grace Valverde
- ギリシャ – Efi Fontini Ploumbi
- ガイアナ – Umblita Van Sluytman
- オランダ – Anneke Geerts
- ホンジュラス – Danira Miralda Buines
- アイスランド – Auður Harðardóttir
- インド – レイタ・ファリア
- アイルランド – Helen McMahon
- イスラエル – Segula Gohr
- イタリア – Gigliola Carbonara
- ジャマイカ – Yvonne Walter
- 日本 – 小早志春美
- ヨルダン – Vera Jalil Khamis
- 韓国 – Chung Eul-sun
- レバノン – Marlène Talih
- ルクセンブルク – Mariette Sophie Stephano
- マレーシア – Merlyn Therese McKelvie
- マルタ – Monica Sunnura
- メキシコ – María Cecilia González DuPree
- モロッコ – Naima Naim
- ニュージーランド – Heather Gettings
- ノルウェー – Birgit Andersen
- フィリピン – Vivien Lee Austria
- 南アフリカ – Johanna Maud Carter
- スリナム – Linda Haselhoef
- スウェーデン – Ingrid Anna Andersson
- スイス – Janine Solliner
- シリア – Feryelle Jalal
- トリニダード・トバゴ – Diane DeFreitas
- トルコ – İnci Asena
- イギリス – Jennifer Lowe Summers
- アメリカ – Denice Estelle Blair
- ベネズエラ – Jeannette Kopp Arenas
- ユーゴスラビア – Nikica Marinović
([2])
備考
[編集]初参加
[編集]- バハマ、ドミニカ共和国、ガイアナ、フィリピン、ユーゴスラビア
再参加
[編集]- スイス - 前回参加は1956年
- ノルウェー - 前回参加は1960年
- インド - 前回参加は1962年
- チリ - 前回参加は1963年
- オランダ領アンティル、トルコ - 前回参加は1964年
不参加
[編集]- オーストラリア
- オーストリア
- コロンビア – María Estela Sáenz Calero
- ニカラグア
- パラグアイ
- ローデシア - 国内の政治的な理由で1966年から1979年まで出場が禁止されていた。1980年にジンバブエとなり、ミス・ワールドにジンバブエとして出場
- スペイン – Paquita Torres Pérez(ミス・ジブラルタルが出場していたため棄権)
- ウルグアイ – Susana Regeden
失格
[編集]- ナイジェリア – Uzor Okafor (ナショナルタイトルを持たないことが発覚、また子持ちの既婚者でもあった)
出典
[編集]参考文献
[編集]- “Miss World 1966”. PROGRAMME INDEX. BBC. 2016年12月28日閲覧。
- “1966”. pageantopolis.com. 2006年9月8日閲覧。
外部リンク
[編集]- Miss World official website - ミス・ワールド公式サイト
- Miss World 1966 - Pageantopolis