マンフレート・ゲルマー
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獲得メダル | ||
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マンフレート・ゲルマー | ||
東西統一ドイツ | ||
陸上競技 | ||
オリンピック | ||
銅 | 1956 メルボルン | 男子 4×100mリレー |
ヨーロッパ陸上選手権 | ||
西ドイツ | ||
銀 | 1958 ストックホルム | 100m |
金 | 1958 ストックホルム | 200m |
金 | 1958 ストックホルム | 4×100mリレー |
金 | 1962 ベオグラード | 4×100mリレー |
マンフレート・ゲルマー(Manfred ("Manni") Germar、1935年3月10日 - )は、西ドイツの陸上競技選手。1956年メルボルンオリンピックの銅メダリストである。ケルン出身。
経歴
[編集]ゲルマーは、100mと200mの短距離を得意とした選手で、1956年のメルボルンオリンピックの4×100mリレーでは、ハインツ・フュッテラー、ローター・クネルツァー、レオンハルト・ポールとともに銅メダルを獲得。同年から、1958年のヨーロッパ選手権の100mでアルミン・ハリーに敗れるまで74連勝という記録を残した。なお、この大会の200mでは金メダルを獲得した。
ヨーロッパ選手権直後の1958年8月には、ケルンで、4×100mリレーの世界記録(39秒5)を樹立。また、10月には200mで20秒6の世界記録を樹立している。
ゲルマーは、1960年ローマオリンピックには、けがが十分に完治していなかったのと、治療した親知らずの影響で、100m、200mとも一次予選で敗退し、また4×100mリレーには出場できなかった。しかし、ゲルマーがいなくても、ドイツは4×100mリレーで金メダルを獲得している。
ゲルマーは現役引退後、商売を始め、小売店のチェーン、宝くじ販売会社の社長となる。また、20年間、地元ケルンのスポーツクラブの会長の職に就いていた。
主な実績
[編集]年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
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1956 | オリンピック | メルボルン(オーストラリア) | 100m | 5位 | 10秒7 |
1956 | オリンピック | メルボルン(オーストラリア) | 200m | -(qf) | DNS |
1956 | オリンピック | メルボルン(オーストラリア) | 4×100mリレー | 3位 | 40秒3 |
1957 | 国際学生スポーツ週間 | パリ(フランス) | 100m | 1位 | 10秒5 |
1957 | 国際学生スポーツ週間 | パリ(フランス) | 200m | 1位 | 21秒3 |
1958 | ヨーロッパ陸上選手権 | ストックホルム(スウェーデン) | 100m | 2位 | 10秒4 |
1958 | ヨーロッパ陸上選手権 | ストックホルム(スウェーデン) | 200m | 1位 | 21秒0 |
1958 | ヨーロッパ陸上選手権 | ストックホルム(スウェーデン) | 4×100mリレー | 1位 | 40秒2 |
1960 | オリンピック | ローマ(イタリア) | 100m | 5位(q) | 11秒0 |
1960 | オリンピック | ローマ(イタリア) | 200m | 3位(q) | 21秒6 |
1962 | ヨーロッパ陸上選手権 | ベオグラード(ユーゴスラビア) | 4×100mリレー | 1位 | 39秒5 |
- qfは2次予選、qは1次予選
外部リンク
[編集]- マンフレート・ゲルマー - Olympedia