コンテンツにスキップ

ポール・ラドミロー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポール・ラドミロー
Paul Ladmirault
ポール・ラドミロー
基本情報
生誕 1877年12月4日
フランスの旗 フランス共和国ナント
死没 (1944-10-30) 1944年10月30日(66歳没)
フランスの旗 フランス共和国、ケルビリ・アン・カメル
職業 作曲家

ポール・ラドミロー (Paul Emile Ladmirault, 1877年12月8日 - 1944年10月30日) は、フランス作曲家批評家である[1]ブルターニュ地方およびケルトの伝統音楽を用いた作品を遺した[2]

生涯

[編集]

1877年12月8日、ナントに生まれる[1]。幼少期から才能を示し、7歳でピアノヴァイオリンオルガン和声を習い始めた[2][3]。さらに8歳から作曲を始め[1]、11歳の時には作曲家のルイ=アルベール・ブルゴー=デュクドレー英語版から作品を高く評価された[4]

1893年5月18日には、初めてのオペラ作品『ジル・ド・レ』がナントで初演された[1][2]。なお、この公演で主人公を務めたのは、のちに小説家となるアルチュール・ベルネード英語版である[2]。また、このオペラの台本は、ラドミローの母が作成した[1]

1892年にナント音楽院に入学したのち、1893年に和声で一等賞を獲得して卒業した[3][5]。その後、1895年から1904年にかけてパリ音楽院で学び、和声をアントワーヌ・タルドゥー英語版、作曲をガブリエル・フォーレ対位法アンドレ・ジェダルジュに師事した[1][4][註 1]。パリではモーリス・ラヴェルモーリス・ドラージュデオダ・ド・セヴラックフローラン・シュミットエドゥアール・ベネディクトゥスらとともに、芸術サークルアパッシュの一員として活動した[6]

3度ローマ大賞に応募するも落選し、ナントに戻った[1][2][7]。ナントでは、『音楽通信』の特派員や『ルエスト・アルティスト』の批評家を務めたほか、国際音楽学会の学会誌に寄稿することもあった[1][2]。さらには、ブルトン人作曲家連盟の創設に携わった[8]。また、1920年にはナントの音楽院で和声、対位法、フーガの教授となり、のちに院長を務めた[1][2][4]

1944年10月30日、サン=ナゼールのケルビリ・アン・カメルにて死去[1]。なお、モルビアン県のケルビリ・アン・カメルにて死去したとする資料もある[2]

人物

[編集]

ラドミローは寡黙な性格であったという[9]

作品

[編集]

ラドミローの作品の多くにブルターニュ地方およびケルトの伝統音楽が用いられている[2]。『ニューグローヴ世界音楽大事典』は「ラドミローの最もよく知られている面は、地域的特質を備えた作曲家としてである。セヴラックの音楽がラングドック地方を反映しているように、故郷ブルターニュの雰囲気をあらわにする」と紹介している[1]。その一方で、ポスト印象主義の作曲家のひとりと称されることもあり[10]、トーマス・マクレーンは「カミーユ・サン=サーンスの形式主義と、ガブリエル・フォーレの抒情性、クロード・ドビュッシーの想像力を一つにしたら、ラドミローの作品になる」と述べている[11]。実際、ラドミロー本人も、自分の音楽がフォーレとモーリス・ラヴェルの影響下にあると自覚していたとも言われている[4]

また、ラドミローの作品は簡素であると指摘される[2][12]。例えばアンドレ・リシュクとステファヌ・ヴォルフは『ラルース世界音楽人名事典』にて、「彼の明晰で簡潔な音楽語法においては旋法様式が用いられている」と述べている[2]。また、ノーマン・デムスも、フランスの作曲家によるピアノ作品を論じた著作において、ラドミローのピアノ作品について「フローラン・シュミットのような複雑さは見られない」と指摘している[12]。なお、デムスはラドミローやガブリエル・グロヴレーズをはじめとするフォーレ門下の作曲家は、サロン用の "work" ではなく、コンサートホールで演奏されるための "piece" を作曲したとも指摘している[13]

ラドミローが新しい作品に着手したことがニュースとして報じられることもあった[14]。例えば、1931年7月5日の『ニューヨーク・タイムズ』は「ラドミローが交響詩を完成させた」と報じているほか[15]、1935年1月号の『ザ・ミュージカル・タイムズ』は「ラドミローがピアノ五重奏曲を作曲し始めた」と報じている[14]

ラドミローは国民音楽協会の委員であったため、多くの作品は同協会の援助により初演されたが、そのほとんどは出版されなかった[1]。また、ラドミローの作品の録音もほとんど残されていない[16]

ラドミローの作品
作曲年 作品名 備考
1899年 - 1902年 ミルダン オペラ。上演されることはなかった[2][17]
1902年 - 1903年 ブルターニュ組曲 自身のオペラ『ミルダン』をもとに作曲された[17]
1906年 ブルターニュの古い聖歌 合唱のための作品[2]
1908年 ブロセリアンド・オ・マタン[2]
1909年 ゲール狂詩曲 4手のピアノのための作品[2]
1925年 コリドヴァンの女司祭 1925年にパリ・オペラ座で初演[17]

教育活動

[編集]

ラドミローの生徒にピーター・ウォーロックがいる[18]。ウォーロックはラドミローの音楽に心酔しており、自身の作品『カプリオール組曲』を彼に捧げた[19]。ラドミローもウォーロックを「同時代における最高のイギリス人作曲家の1人」と評しており[20]、ウォーロックの批評家としての腕前も認めている[21]

評価

[編集]

ラドミローは作曲家たちから高く評価された[22][1]。例えば師のガブリエル・フォーレは、ラドミローに宛てた手紙で「あなたは私の生徒の中で最も興味深い存在です。とにかく沢山の作品を作ってください。そうすれば私はとても嬉しい気持ちになるでしょう」と記している[22]。また、クロード・ドビュッシーはラドミローの『森の魂の合唱』という作品について「洗練された詩的色彩感覚に富む作品」と評し[1]ハワード・ファーガソンはラドミローによる4手のピアノ作品を称賛した[23]。他にも弟子のピーター・ウォーロックがラドミローの音楽を称賛している[19]

ラドミローは、批評家からも高く評価された[24][25]。例えばロベルト・ベルナルドは『ルヴュ・ミュージカル』紙にて「ラドミローは趣味の良さ、俊敏性、多様なオリジナリティを備えている」と評している[24]。また、バレエ『コリドウェンの女司祭』が発表された際、エミール・ブュイエルモーズは『クリスチャン・サイエンス・モニター』紙にて、台本を酷評しつつもラドミローの音楽については高く評価し、ラドミローの詩的な才能と独創性を称賛した[25]。一方、アンリ・プリュニエール英語版は『ニューヨーク・タイムズ』で本作について「オーケストレーションは分厚く、多様性に欠けている」と批判した[26]

作曲家や批評家からは高く評価されたものの[22][24]、ラドミローの知名度は低い[11][27]。作品もほとんど出版されておらず[1]、録音もほとんどない[16]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ ラドミローがパリ音楽院に入学したのは1897年とする資料もある[4]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Brody 1995, p. 227.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o リシュク、ヴォルフ 1989, p. 1385.
  3. ^ a b Hill 1970, p. 340.
  4. ^ a b c d e Krier 2001.
  5. ^ Baker's Biographical Dictionary of Musicians 2001, p. 2009.
  6. ^ Pasler 2001a.
  7. ^ McClain 2000.
  8. ^ Mullen 2017.
  9. ^ Ritter 2005, p. 223.
  10. ^ Pasler 2001b.
  11. ^ a b McClain 2000, p. 168.
  12. ^ a b Demuth 1959, p. 88.
  13. ^ Demuth 1959, p. 87.
  14. ^ a b Calvocoressi 1935a, p. 29.
  15. ^ New York Times 1931, p. 84.
  16. ^ a b Lehman 1998, p. 150.
  17. ^ a b c リシュク、ヴォルフ 1989, p. 1386.
  18. ^ Copley 1979, p. 34.
  19. ^ a b Copley 1979, p. 236.
  20. ^ Ladmirault 1994, p. 59.
  21. ^ Ladmirault 1994, p. 60.
  22. ^ a b c Fauré and Jones 1989, p. 102.
  23. ^ Ferguson 1995, p. 22.
  24. ^ a b c Calvocoressi 1935b, p. 522.
  25. ^ a b Vuillermoz 1927, p. 8.
  26. ^ Prunieres 1927, p. X8.
  27. ^ Musical Opinion 2015, p. 2.

参考文献

[編集]

英語文献

[編集]
  • Copley, I. A. (1979). The music of Peter Warlock : a critical survey. London: D. Dobson. ISBN 9780234772492. https://archive.org/details/musicofpeterwarl0000copl/page/n13/mode/2up?q=Paul+lad 

日本語文献

[編集]
  • Brody, Elaine「ラドミロー, ポール(・エミール)」『ニューグローヴ世界音楽大事典 第19巻』、講談社、1995年、227頁、ISBN 4-06-191639-4 
  • リシュク, アンドレ、ステファヌ・ヴォルフ「ラドミロー, ポール」『ラルース世界音楽人名事典』、福武書店、1989年、1385-1386頁、ISBN 4-8288-1602-X 

外部リンク

[編集]