コンテンツにスキップ

ポール・コーノイアー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポール・コーノイアー
Paul Cornoyer
1900年ころのコーノイアー
生誕 (1864-08-15) 1864年8月15日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国セントルイス
死没 1923年6月17日(1923-06-17)(58歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国グロスター
テンプレートを表示

ポール・コーノイアー(Paul Cornoyer、1864年8月15日 - 1923年6月17日)は、アメリカ合衆国の画家である。印象派トーナリズムのスタイルで風景を描いた。

略歴

[編集]

セントルイスで生まれた。セントルイスの美術学校で学び、美術学校の校長に才能を認められて奨学金を得て、1889年にパリへ留学し、私立の美術学校アカデミー・ジュリアンに入学し、ジュール・ジョゼフ・ルフェーブルジャン=ジョセフ・バンジャマン=コンスタンのもとで学んだ[1] 。パリでは印象派の画家やバルビゾン派の画家から影響を受けて、街の風景や自然の風景を描いた。1892年にパリで開かれたアメリカ人画家たちの展覧会(American Art Association of Paris)で一等を受賞した。

1894年に帰国し、セントルイスで活動し、その年セントルイス画家・彫刻家協会の展覧会で金賞を受賞し、地元のホテルの壁画も描いた。有力な画家のウィリアム・メリット・チェイスと知り合い、チェイスはコーノイアーの作品を買い、コーノイアーにニューヨークで活動することを勧めた[1]。1898年にニューヨークに移り、様々な天候や時間で異なる街の風景を描いた。印象派のスタイルや点描の技法の作品も描いた。

1909年にナショナル・アカデミー・オブ・デザインの準会員に選ばれた。ニューヨークの技術者学校で絵を教えた。夏の別荘としてマサチューセッツ州のグロスターに家を買い、1917年にグロスターに転居した。マサチューセッツでも絵を教えた[2]

1923年にグロスターで没した。

作品

[編集]

参考文献

[編集]
  1. ^ a b Gerdts, William H. (1990) (英語). Art Across America, Two Centuries of Regional Painting, 1710–1920: The Plains States and the West. New York: Abbeville Press. pp. 53. ISBN 9781558590335 
  2. ^ Paul Cornoyer, A.N.A.”. Oxfordgallery.com. 2 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。1 January 2015閲覧。

外部リンク

[編集]