ポンペイ最後の日 (ブリューロフの絵画)

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『ポンペイ最後の日』
ロシア語: Последний день Помпеи
英語: The Last Day of Pompeii
作者カール・ブリューロフ
製作年1833年
種類油彩キャンバス
寸法456.5 cm × 651 cm (179.7 in × 256 in)
所蔵ロシア美術館サンクトペテルブルク

ポンペイ最後の日[1](ポンペイさいごのひ、: Последний день Помпеи)は、ロシアの画家カール・ブリューロフにより1833年に描かれた絵画である[2]

概要[編集]

79年8月24日の午後1時頃に、ヴェスヴィオ火山が大きな噴火を起こし、ふもとにある都市ポンペイを襲った。本作は、そのときのポンペイの街と、避難しようとして逃げ惑う人々の姿を描いている。ブリューロフは、製作にあたって現地の廃墟を見学し、歴史文献をよく読み研究して描き上げた[3]

ブリューロフは、ナポリを訪れたときに、ポンペイの災禍を描くという着想を得た。創作は、基本的にローマで行われ、完成までには6年かかった。本作は、発表後に大きな評判を呼んだ。初めにエルミタージュ美術館で展示され、パリミラノで展示された後、ロシア皇帝ニコライ1世に贈られた。19世紀末にサンクトペテルブルクにあるロシア美術館に移され、現在も同美術館に収蔵されている[2]。本作は、小説家エドワード・ブルワー=リットンが同名の小説『ポンペイ最後の日』を執筆するきっかけにもなった[4]

作品[編集]

多くの人々が上を見上げている。黒い雲からは熱い小石が降り注ぎ、敷石などの上に黒い斑点をつくっている。幾筋もの稲妻が雲を引き裂いて、暗い夜空を明るませている。画面右側では、石造りの建物が崩壊しかけており、その上に立てられている大きな2体の神像が落下しかけている。中央右の老人と左の若い男性が、腕を上に伸ばしている。老人は、馬の毛を束ねた飾りの付いた鉄かぶとをかぶったローマ兵と少年に抱えられている[3]

老人の背後では、座り込んだ年配の女性の手を、自らの胸に当てて説得している若者の姿がある。博物学者の小プリニウスは歴史家タキトゥスに宛てて、母親を置いて逃げることはできないとする手紙を書いている。その後方には、花の冠をかぶった女性を両腕で抱える青年が描かれている[1]

その後方では、前脚を高く上げて興奮している様子の馬が描かれている。中央左では、2人の小さな子どもを連れた若い夫婦は、降り注ぐ熱い小石を少しでも避けるために、大きな布をかぶっている。妻に抱えられた乳児は、焼け焦げた鳥に手を伸ばしている。画面の左端では、首に十字架をさげた祖父がおり、その娘や孫娘と思われる女性たちが互いに抱きしめ合っている[5]。画面左側後方に描かれた、画材を頭に載せている男性は、ブリューロフの自画像であるといわれている[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『運命の絵』 2017, p. 206.
  2. ^ a b ロシアでもっとも巨大な絵画ベスト5”. ロシア・ビヨンド (2018年12月6日). 2019年1月1日閲覧。
  3. ^ a b 『運命の絵』 2017, p. 203.
  4. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2019年1月1日閲覧。
  5. ^ 『運命の絵』 2017, p. 207.

参考文献[編集]

  • 中野京子『中野京子と読み解く 運命の絵』文藝春秋、2017年。ISBN 978-4-16-390616-4