ポウィス侯爵
ポウィス侯爵 | |
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Arms:Per pale Azure and Gules three Lions rampant Argent, a Crescent for difference.Crest:A Wyvern wings elevated Vert holding in the mouth a Sinister Hand couped at the wrist Gules and charged on the shoulder with a Crescent for difference.Supporters:Dexter: A Panther rampant guardant Argent spotted of various colours fire issuing out of the mouth and ears ducally gorged Azure; Sinister: A Lion Argent ducally gorged Gules; each supporter charged on the shoulder with a Crescent for difference
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創設時期 | 1687年3月24日 |
創設者 | ジェームズ2世 |
貴族 | イングランド貴族 |
初代 | 第3代ポウィス男爵ウィリアム・ハーバート |
最終保有者 | 3代侯爵ウィリアム・ハーバート |
相続資格 | 初代侯爵の嫡出直系男子 |
付随称号 | ポウィス伯爵 モンゴメリー子爵 ポウィス男爵 (レッドカスルの)準男爵 |
現況 | 廃絶 |
断絶時期 | 1748年3月8日 |
モットー | Ung Je Serviray |
ポウィス侯爵(英:Marquess of Powis)は、かつて存在したイギリス(ウェールズ)の侯爵位。イングランド貴族爵位。第3代ポウィス男爵ウィリアム・ハーバートが1687年に叙されたが、1748年に廃絶した。ペンブルック伯爵家の分家筋であった。
本項では、前身となったポウィス男爵についても触れる。
歴史
[編集]ポウィス侯爵家の祖エドワード・ハーバート(1542?-1595) はペンブルック伯爵家の次男として生まれ、オールド・セイラム選挙区選出の庶民院議員を務めた[1][2]。
その子ウィリアム・ハーバート(1573-1655) は父同様に庶民院議員を務めたのち、1629年4月2日にイングランド貴族としてモンゴメリー州ポウィスのポウィス男爵 (Baron Powis, of Powis in the County of Montgomery) に叙された[3][4]。初代男爵のあとは、その息子パーシーが爵位を継承した。
2代男爵パーシー (1598-1667) は、襲爵前の1622年11月16日にイングランド準男爵位の(モンゴメリー州レッドカッスルの)準男爵 (Baronet, of Redcastle in the County of Montgomery) に叙されている[3]。
3代男爵ウィリアム (1626-1696) は国王ジェームズ2世の近臣として活躍し、1674年4月4日にモンゴメリー州ポウィスのポウィス伯爵 (Earl of Powis, of Powis in the County of Montgomery) に陛爵した。彼はさらに1687年3月24日にポウィス侯爵に昇叙するとともに、併せてモンゴメリータウンのモンゴメリー子爵 (Viscount Montgomery, of the Town of Montgomery) を授けられている[5][6][7]。これら一連の爵位はすべてイングランド貴族爵位である[3][5]。初代侯ウィリアムは名誉革命が起こると、廃位されたジェームズ2世に従った。彼は大僭称者ジェイムズ・ステュアートのフランス亡命を成功させた功績から、ジャコバイト貴族爵位[注釈 1]の「ポウィス公爵」及び「モンゴメリー侯爵」に叙爵された[6][8]。ただし、政府からは1689年7月に私権剥奪を受けており、父祖の地所や爵位は没官となった[6]。
なお、その子ウィリアム (1660-1745) も父の動向によってロンドン塔に収監されたのち、法外者宣告及び追放に処された[5][9]。彼は続く1715年ジャコバイト蜂起に際して再逮捕されたが、後年は所領の一部や居城たるポウィス城、及び父のポウィス侯爵位の回復に成功した[9]。彼ののちは、その息子ウィリアムが爵位を相続した[5][8]。
しかし3代侯爵ウィリアム (1698-1748) が子のないまま1748年に死去すると、すべての爵位と準男爵位は廃絶した[5][8]。なお、一族の所領や居城は遠縁のヘンリー・ハーバート (1703-1772) に継承されているが、これが第2期のポウィス伯爵叙爵へとつながる[10]。(→その後の歴史は、ポウィス伯爵を参照)
一覧
[編集]ポウィス男爵(1629年)
[編集]- 初代ポウィス男爵ウィリアム・ハーバート (c. 1573–1656)
- 第2代ポウィス男爵パーシー・ハーバート(c. 1600–1667) (1622年に(レッドカスルの)準男爵叙爵)
- 第3代ポウィス男爵ウィリアム・ハーバート (1626–1696) (1674年にポウィス伯爵、1687年にポウィス侯爵叙爵)
ポウィス侯爵(1687年)
[編集]- 初代ポウィス侯爵ウィリアム・ハーバート (1626-1696)
- 第2代ポウィス侯爵ウィリアム・ハーバート (1660-1745)
- 第3代ポウィス侯爵ウィリアム・ハーバート (1698-1748) (1748年にポウィス侯爵・男爵位廃絶)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 以下、存在性に乏しいジャコバイト爵位に関しては、括弧書きの強調なしで表記する。
出典
[編集]- ^ “Pembroke, Earl of (E, 1551)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月19日閲覧。
- ^ “HERBERT, Edward II (c.1542-95), of Wilton, Wilts.; later of Powis Castle, Mont. | History of Parliament Online”. www.historyofparliamentonline.org. 2020年1月19日閲覧。
- ^ a b c “Powis, Baron (E, 1629 - 1748)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月19日閲覧。
- ^ George Edward Cokayne. Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, Extant, Extinct, Or Dormant , Volume 6. G. Bell & sons, 1895. pg 295.
- ^ a b c d e “Powis, Marquess of (E, 1687 - 1748)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月19日閲覧。
- ^ a b c Goodwin, Gordon (1891). . In Stephen, Leslie; Lee, Sidney (eds.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 26. London: Smith, Elder & Co.
- ^ “No.2224”. The Gazette 10 March 1686. 2020年1月20日閲覧。
- ^ a b c Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 22 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 238.
- ^ a b Stephen, Leslie; Lee, Sidney, eds. (1891). . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 26. London: Smith, Elder & Co.
- ^ “Powis, Earl of (GB, 1748 - 1801)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年2月9日閲覧。