ボリス・ユーリエヴィチ
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ボリス・ユーリエヴィチ Борис Юрьевич | |
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ベルゴロド公 トゥーロフ公 キデクシャ公 | |
ボリス・ユーリエヴィチの死 | |
在位 |
ベルゴロド公:1149年 - 1151年 トゥーロフ公:1154年 - 1157年 キデクシャ公:1157年 - 1159年 |
死去 |
1159年5月2日 |
配偶者 | マリヤ |
子女 | エフロシニヤ(ピンスク公ヤロスラフ妃) |
家名 | リューリク家 |
父親 | キエフ大公ユーリー・ドルゴルーキー |
母親 | アエパ・オセネヴィチの娘 |
ボリス・ユーリエヴィチ(ロシア語: Борис Юрьевич、? - 1159年5月2日)は、ユーリー・ドルゴルーキーの子のうちの1人である。ベルゴロド公:1149年 - 1151年、トゥーロフ公:1154年 - 1157年、キデクシャ公:1157年 - 1159年。
1149年に父のユーリー・ドルゴルーキーがキエフ大公となると、ベルゴロド公に任命された。1154年にはトゥーロフ公になった。1157年の父の死後にはルーシ南部を離れ、ルーシ北部のキデクシャの公となった。アンドレイ・ボゴリュブスキーの親族としては唯一、ルーシ北部の地に分領公国を所領した人物である。
マリヤという名の妻がいたが、子孫については不明である。
参考文献
[編集]- Л.Войтович КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ CXIДНОЇ ЄВРОПИ
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