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ヘンリー・シンプソン・ブリッジマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヘンリー・シンプソン・ブリッジマン英語: Henry Simpson Bridgeman1757年4月12日1782年7月26日)は、グレートブリテン王国の政治家。

生涯

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第5代準男爵サー・ヘンリー・ブリッジマンと妻エリザベス(Elizabeth、旧姓シンプソン(Simpson)、1735年11月14日 – 1806年3月6日、ジョン・シンプソンの娘[1])の長男として、1757年4月12日に生まれた[2]ハーロー校ニューコムズ・スクール英語版で教育を受けた後、1775年6月3日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学した[3]

1780年8月にウィガン選挙区英語版の補欠選挙に出馬した[4]。ブリッジマン家はウィガン選挙区で勢力を有しており、有力者の第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンクが譲歩したこともあって当選を果たし、同年の総選挙では対立候補の初代準男爵サー・リチャード・クレイトン英語版がポートランド公爵の支持を得られなかったため、ブリッジマンは58票(得票数1位)で難なく再選した[4]

議会では父と同じくロッキンガム侯爵派に属し、ノース内閣期(1770年 – 1782年)に野党の立場にあったが、健康の悪化により1781年夏以降は登院しなくなり、1782年初には外国に滞在した[5]

1782年7月26日、生涯未婚のまま父に先立って死去した[5]

出典

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  1. ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 275–276.
  2. ^ Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 294.
  3. ^ "Bridgeman, Henry Simpson. (BRGN775HS)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  4. ^ a b Brooke, John (1964). "Wigan". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月16日閲覧
  5. ^ a b Brooke, John (1964). "BRIDGEMAN, Henry Simpson (1757-82).". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月16日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代
ジョージ・ビング英語版
ジョン・モートン英語版
庶民院議員(ウィガン選挙区英語版選出)
1780年 – 1782年
同職:ジョージ・ビング英語版 1780年
ホレイショ・ウォルポール閣下 1780年 – 1782年
次代
ホレイショ・ウォルポール閣下
ジョン・コーツ