ヘンリー・コスター (探検家)
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ヘンリー・コスター(Henry Koster (1793年10月8日 - 1820年12月6日)はイギリス人の砂糖商人の息子である。短い生涯の後半をブラジルで過ごし、ブラジルの旅行記を書いた。ポルトガル語の名前をエンリケ・ダ・コスタ(Henrique da Costa)、フランスではアンリ・コステ(Henri Koster)の名前で著者が出版された。
略歴
[編集]リバプールの砂糖商人ジョン・セオドア・コスター(John Theodore Koster)の息子で、ポルトガルで生まれた[1]。健康に恵まれなかったため、気候のいいブラジルのペルナンブーコに送られ[2]、1809年11月にブラジルに着き、州都のレシフェに12月に到着した[3][4] 。レシフェで1年ほど滞在した後、ブラジル各地を旅した。1812年にセアラー州のジャグァリベに土地を借り、奴隷を買って、ファゼンダ(農園主)となり、コーヒーを栽培し、輸出した[5]。その後、イギリスに何度か短い旅をする以外はブラジルで暮らした。
1810年に『ブラジル史』を出版したイギリスの詩人、ロバート・サウジーと知り合い、進められて『ブラジルの旅』を1815年に出版した[6] 。サウジーの『ブラジル史』のポルトガル語への翻訳を始めたが完成しなかった。
植物学の分野では、ブラジル人の学者、マヌエル・アルーダ・ダ・カマラの著作を紹介し、ブラジルを訪れた植物学者、ヨハン・バプチスト・フォン・スピックスとカール・フリードリヒ・フィリップ・フォン・マルティウス、オーギュスタン・サンティレールの探検に協力した。
著書の図版
[編集]著作
[編集]- Koster, Henry (1816). Travels in Brazil. London: Longman, Hurst, Rees, Orme, and Brown 11 May 2015閲覧。
- Voyage dans la partie septentrionale du Brésil, depuis 1809 jusqu'en 1815 (Paris: 1818)
- On the Amelioration of Slavery (1816)
参考文献
[編集]- ^ The Gentleman's Magazine (London), Vol. 128 (1820), p. 186
- ^ Leslie Bethell, The Cambridge History of Latin America, vol. 3 (1985), p. 175
- ^ Henry Koster, Travels in Brazil (1816), pp. 1–3
- ^ Francis A. Dutra, A Guide to the History of Brazil, 1500–1822 (1980), p. 396
- ^ 'Art. IV. Travels in Brazil By Henry Koster', review in The Quarterly Review dated January 1817, in bound volume XVI (London: John Murray, 1817), pp. 344–387
- ^ Leslie Bethell, 'The British Contribution to the Study of Brazil', in Marshall C. Eakin, Paulo Roberto de Almeida, eds., Envisioning Brazil: A Guide to Brazilian Studies in the United States (University of Wisconsin Press, 2005), at p. 352