コンテンツにスキップ

ヘルマン・ヴィスリツェヌス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘルマン・ヴィスリツェヌス
Hermann Wislicenus
作者不詳の肖像画
生誕 (1825-09-20) 1825年9月20日
ドイツ、アイゼナハ
死没 1899年4月25日(1899-04-25)(73歳没)
ドイツ、ゴスラー
テンプレートを表示
ヴィスリツェヌスが制作したゴスラーの王宮の装飾画「神聖なる皇帝位」(c.1880)

ヘルマン・ヴィスリツェヌス(Hermann Wislicenus、1825年9月20日 - 1899年4月25日)は、ドイツ画家である。宮廷の装飾画や寓意画を描いた。

略歴

[編集]

ドイツ中部のアイゼナハで生まれた。1844年にドレスデンの美術アカデミーに入学しエドゥアルト・ベンデマンユリウス・シュノル・フォン・カロルスフェルトに学んだ。ヴァイマルの大公に認められて、奨学金を得て1853年にイタリアに修行に出て、ローマでナザレ派の画家ペーター・フォン・コルネリウス(1783-1867)のもとで働き、ナザレ派の芸術家と交流した。ドイツに帰国するとヴァイマルにスタジオを開いた。1868年までヴァイマルで働き批評家や顧客から画家として評価された。

1868年の春、デュッセルドルフ美術アカデミーの歴史画の教授候補となり、アカデミーの学生や教授たちのなかでは、かつての有力な教授カール・フェルディナンド・ゾーンの甥のヴィルヘルム・ゾーン(1829-1899)を推す動きがあったがプロイセンの文化省によってヴィスリツェヌスが教授に選んだことは議論を呼んだ[1]

1877年にゴスラーの王宮の皇帝の間の装飾画のコンペティションで1等を受賞し、神聖ローマ帝国の歴史を題材に1890年まで弟子のフランツ・ヴァイナッハ(Franz Weinack : 1845-1915)と装飾画の制作を続けた。

作品

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ Wolfgang Hütt: Die Düsseldorfer Malerschule 1819–1869. VEB E.A. Seemann Buch- und Kunstverlag, Leipzig 1984, S. 250 ff.

参考文献

[編集]
  • Siegfried Gehrecke: Hermann Wislicenus 1825–1899. Verlag Erich Goltze, Göttingen 1987, ISBN 3-88452-830-0.