コンテンツにスキップ

バトマゾー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

バトマゾー(Batma dzoo、漢字表記:巴特瑪璪、生没年不詳)は、の太宗ホンタイジの側室。元はチャハル部のリンダン・ハーンの妻。モンゴルホルチン部の出身。姓はボルジギト(博爾済吉特)氏(Borjigit hala)。

生涯[編集]

初め、リンダン・ハーンに嫁ぎ、福晋(8人の大福晋の一つ)となった。女子を1人産んだ。

1634年、リンダン・ハーンはチベット遠征に出発し、青海に入ろうとしたが、その途上シャラ・タラの草原で病死した。リンダン・ハーンが不在のモンゴルでは、ホンタイジ率いる後金軍がフヘ・ホトを占領した。同年、バトマゾーは後金に降って、ホンタイジと政略結婚し、側室となった。

崇徳元年(1636年)、衍慶宮淑妃に封ぜられた。順治9年(1652年)10月、皇考康恵淑妃に尊封された。その後、北京で薨去した。

女子[編集]

  • ボルジギト氏(リンダン・ハーンとの娘)

出典[編集]

  • 清史稿
  • 『尊封康恵淑妃冊文』