ノート:山本健一 (ヤクザ)
夜桜銀次事件については、『山口組50の謎を追う』洋泉社、2004年、ISBN 4-89691-796-0のP.20~P.23と芹沢耕二・北村永吾・天龍寺弦『突破ヤクザ伝 夜桜銀次 平尾国人』竹書房、2006年、ISBN 4-8124-6311-4を出典として加筆修正しています。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月13日 (水) 17:28 (UTC)
鶴田浩二襲撃事件を加筆しました。出典は、飯干晃一 『山口組三代目 1.野望篇』徳間書店<文庫>、1982年、ISBN 4-146421-8のP.103~P.131です。--竜造寺和英 2007年6月17日 (日) 00:56 (UTC)
「来歴」の節を時系列でまとめました。時系列にはいらない内容を「エピソード」の節にまとめました。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月19日 (火) 10:17 (UTC)
『山口組50の謎を追う』洋泉社2004年 ISBN 4-89691-796-0と溝口敦笠井和弘ももなり高『荒らぶる獅子 第7巻』竹書房、2005年、ISBN 4-8134-6224-Xを出典として加筆しています。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月22日 (金) 03:20 (UTC)
溝口敦『撃滅 山口組vs一和会』講談社、2000年、ISBN 4-06-256445-9を出典として、大阪戦争を加筆しています。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月23日 (土) 10:41 (UTC)
- 溝口敦・笠井和弘・ももなり高『血と抗争! 菱の男たち 2』竹書房、2003年、ISBN 4-8124-5764-5を出典に加筆しています。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月23日 (土) 20:46 (UTC)
- 溝口敦・笠井和弘・ももなり高『血と抗争! 菱の男たち 2』竹書房、2003年、ISBN 4-8124-5764-5を出典に「小松島抗争」を加筆しています。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月24日 (日) 07:20 (UTC)
溝口敦・笠井和弘・ももなり高『血と抗争! 菱の男たち 2』竹書房、2003年、ISBN 4-8124-5764-5 を出典として加筆しています。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月24日 (日) 22:26 (UTC)
溝口敦『撃滅 山口組vs一和会』講談社<+α文庫>、2000年、ISBN 4-06-256445-9を出典として、大阪戦争その他を加筆しています。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月27日 (水) 11:40 (UTC)
「同年2月4日、山本健一は、持病の肝臓疾患のため死去した」と加筆しました。出典は、正延哲士・芹沢耕二・赤名修『武闘王ボンノ 第4巻』竹書房、2001年、ISBN 4-8124-5515-4のP.183です。--竜造寺和英 2007年6月27日 (水) 22:18 (UTC)
菅谷政雄の部分は、正延哲士芹沢耕二赤名修『武闘王ボンノ 第3巻』竹書房、2001年、ISBN 4-8124-5514-6と正延哲士芹沢耕二赤名修『武闘王ボンノ 第4巻』竹書房、2001年、ISBN 4-8124-5515-4を出典として加筆しています。残りの部分は、溝口敦『撃滅 山口組vs一和会』講談社<+α文庫>、2000年、ISBN 4-06-256445-9を出典として加筆しています。ご了承ください
130.54.130.229さん、おはようございます。理由なく勝手に記事を削除しないでください。Wikipedia:検証可能性では、「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。このため、執筆者は出典を明記すべきです。定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません」とあります。削除することも「ある編集」に相当します。したがって、記事を元に戻しました。削除されるのならば、削除部分が誤っていることをご明示ください。--竜造寺和英 2007年7月8日 (日) 22:52 (UTC)
「安璋煥」は漢字もあるし普通に表示できるようなので態々「安しょうかん」と書かなくていいと思いますが。
検証可能な出典の明記のお願い
[編集]最近、ヤクザの記事にいたずら書きをする人が増えています。いたずら書きと事実の記述を区別できるように、Wikipedia:検証可能性に従って、加筆する際には必ず検証可能な出典の明示をお願いします。--獅子の鬣 2008年8月11日 (月) 04:19 (UTC)
Wikipediaの特性上主語はきちんとかくべきでは
[編集]Wikipediaは検証可能な出典を示せば一応誰でも加筆できます。この特性上主語をきちんと書くべきではありませんか。例えばAという人物の記事があり、「昭和25(1950年)、故郷の広島に戻った。昭和27年(1952年)、府中刑務所に服役した」と主語が抜かれて書かれていたとします。その後誰かが「昭和26年(1951年)、田岡一雄はAに盃を与えて、若衆とした」という一文を書き加えたとしましょう。記事は「昭和25(1950年)、故郷の広島に戻った。昭和26年(1951年)、田岡一雄はAに盃を与えて、若衆とした。昭和27年(1952年)、府中刑務所に服役した」となります。このとき、曖昧な表現が発生します。何かというと「昭和27年(1952年)に府中刑務所に服役したのは、田岡一雄なのかAなのか」という問題です。文章の流れ上どちらとも取れます。このように、Wikipediaは後から加筆されることがしばしばあります。だから、文章表現は後からどんな加筆されても曖昧にならないようにすべきではありませんか。主語を省く表現は今後の加筆を考えれば、避けるべきだと思います。--KING OF ZIPANGU 2008年11月10日 (月) 10:31 (UTC)