チャールズ・ウェスレー・ジュニア

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チャールズ・ウェスレー
Charles Wesley
生誕 1757年12月11日
イングランドの旗 イングランド ブリストル
死没 (1834-05-23) 1834年5月23日(76歳没)
イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル クラシック
職業 オルガニスト作曲家
ウェスレーのカンタータThe western sky was purpled o'er」自筆譜の最初のページ

チャールズ・ウェスレー・ジュニアCharles Wesley junior 1757年12月11日 - 1834年5月23日)は、イングランドオルガニスト作曲家

生涯[編集]

チャールズは、聖歌作曲の大家でありメソジズム創始者の1人でもあるチャールズ・ウェスレーの息子、そしてチャールズと同じくオルガニスト兼作曲家であったサミュエル・ウェスレーの兄である。チャールズは大抵の場合、彼よりも有名な父との混同を避けるために『チャールズ・ウェスレー・ジュニア』と呼ばれる。彼は生涯結婚することなく、人生の大半を母および姉妹とともに暮らした。

ウェスレーの知名度は弟のサミュエルには遠く及ばない。しかし、彼もサミュエルと同じく幼少期から音楽的才能を現しており、3歳になるより前にオルガン演奏を行っていた。そして、大人になってからはプロの音楽家として活動した。マシューズ(Matthews)は1784年のヨーロピアン・マガジン誌[注 1]を引用しており、そこには「彼のオルガン演奏はこの上ない喜びをもたらした。」と記されている。しかしながら彼は公開演奏を好まず、主に私的なオルガニストとして演奏を行っていた。彼は18歳の時に始めて女王の宮殿で演奏しており、生涯多くの場面で皇室と繋がりを持っていた。ジョージ4世のために私的に演奏を披露したのも、そのような中の1つである。

彼の作品のうち一握りのものは今日でも演奏されており、近年発見されたヘ短調の鍵盤楽器のためのソナタは2007年2月1日南メソジスト大学のパーキンス工科学校[注 2]で初演された。これはチャールズ・ウェスレー生誕300年、チャールズ・ウェスレー・ジュニアの生誕250年の年にメソジストを祝う催しの一環として行われた。

脚注[編集]

注釈

  1. ^ 訳注:1782年から1826年にかけてロンドンで刊行されていた雑誌であり、第89号までで休刊となった。(European Magazine
  2. ^ 訳注:南メゾジスト大学を構成する3つの学校のうちの1つ。1945年に改称されて現在の名前になった。(Perkins School of Theology

参考文献[編集]

外部リンク[編集]