ダニエル・ハンティントン
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ダニエル・ハンティントン Daniel Huntington | |
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生誕 |
1816年10月4日 アメリカ合衆国,ニューヨーク |
死没 |
1906年4月19日 アメリカ合衆国,ニューヨーク |
ダニエル・ハンティントン(Daniel Huntington、1816年10月4日 - 1906年4月19日)はアメリカ合衆国の画家である。肖像画家として知られる。ニューヨークの美術学校、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインの校長を務めた。
略歴
[編集]ニューヨークに生まれた。父親は法律家で、父方の祖父、ベンジャミン・ハンティントンは1775年からの第2回大陸会議にコネチカット州代表で参加した人物であり、母方の祖父、ジェディディア・ハンティントンは独立戦争の将軍であった人物である。
1833年から1835年の間、ハミルトン・カレッジで学んだ。肖像画家のエリオット(Charles Loring Elliott:1812–1868)と知り合い画家になることを勧められた。1835年からナショナル・アカデミー・オブ・デザインの初代校長のサミュエル・モールス、副校長のヘンリー・インマン(1801-1846)に学んだ[1]。1836年にナショナル・アカデミー・オブ・デザインの展覧会に出展した。その後、ハドソン・リバー派の影響を受けた風景画を描いた。1839年からイギリス、ローマ、フィレンツェ、パリを後輩の画家、ヘンリー・ピータース・グレイ(1819-1877)と旅した。1840年にアメリカに戻った後、画家として高い評価を得て、肖像画家として働いた[1]。1844年から1846年の間はローマ、1851年から1859年にはイギリスに滞在した。歴史に題材を得た作品も描いた。1862年から1870年の間と1877年から1891年の間、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインの校長を務めた[1]。メトロポリタン美術館の副館長も務めた[2]。
作品
[編集]-
収穫する農夫に食事を運ぶ女性
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Philosophy and Christian Art (1868)
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アルフォンソ・タフト-合衆国陸軍長官
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"The Sketcher: A Portrait of Mlle Rosina, a Jewess"(1858)
ブルックリン美術館 -
ジェームズ・デーナ-地質学者
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Gulian Crommelin Verplanck-作家・政治家 (1857)
国立肖像画美術館
参考文献
[編集]- ^ a b c この記述にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Huntington, Daniel". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 13 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 953.
- ^ Looking at Pictures in the Grand Salon: a guide to the artists. Smithsonian American Art Museum, Renwick Gallery.