スーズ・ロバートソン
スーズ・ロバートソン Suze Robertson | |
---|---|
生誕 |
1855年12月17日 デン・ハーグ |
死没 |
1922年10月18日 (66歳没) デン・ハーグ |
スーズ・ロバートソン(Susanne (Suze) Bisschop-Robertson、1855年12月17日 - 1922年10月18日)は、オランダの画家である。19世紀末から、20世紀の初めにオランダで職業画家になった女性の一人で、1912年にオランダの新聞にロバートソンらのオランダの女性画家は「Amsterdamse Joffers("アムステルダムのお嬢さん達"のような意味)」という呼称で取り上げられた。
略歴
[編集]デン・ハーグで商人、ジョン・ロバートソン(John Robertson)の娘に生まれた。2歳の時、母親が亡くなり叔父夫婦に育てられた。ヴァッセナールの寄宿学校で絵の才能を見出され、1874年にハーグの美術アカデミーに入学し、ヨハン・フィリップ・クールマン(Johan Philip Koelman)に学んだ[1]。ロッテルダム、アムステルダムの美術学校やデルフトの工科大学でも学んだ[2]。
1877年から美術教師として働き始め、1883年頃から絵画の制作に専念した。「Amsterdamse Joffers」とされた画家の中でも先駆的な役割を果たした。1880年代にデンハーグに戻った。ハーグの美術協会のプルクリ・スタジオや「オランダ素描協会(Hollandsche Teekenmaatschappij)」、「オランダ版画クラブ(Nederlandsche Etsclub)」、「Arti et Amicitiae(芸術と友情)」といいったグループの展覧会に参加した[2]。1892年にレーワルデン出身の画家、リチャード・ビショップ(Richard Bisschop: 1849-1926)とスヘルトーヘンボスで結婚し、1894年に、後に画家になる娘のサラ(Sara Bisschop: 1894-1992)が生まれた。
結婚後も、オランダの国内外の展覧会に出展し、何度も賞を得た。1900年にロンドンで開かれた国際女性作品展(International Exhibition of Women's Labor)やパリ万国博覧会などで賞を得た。 1903年から1914年の間に最も活躍したとされる。1913年にオランダのフランスからの解放100年を記念する女性美術展「De Vrouw 1813-1913」にも出展された。晩年は娘と共作し共同展も開いた。
1921年にプルクリ・スタジオで回顧展が開かれた。1922年10月に故郷のデン・ハーグで66歳で亡くなった。
作品
[編集]-
骨董品店 (1900/1901)
ユトレヒト中央博物館 -
"The Fisher's gate at HarderwijkW"
Kunstmuseum Den Haag -
静物画 (1922)
アムステルダム国立美術館
-
ジャガイモの皮を剥く農婦
アムステルダム国立美術館 -
"Lena
ドルトレヒト美術館" -
The Breaker of branches
-
読書する女性
脚注
[編集]- ^ Suzanne Robertson in 1001 Vrouwen uit de Nederlandse geschiedenis
- ^ a b Suze Robertson in the RKD
参考文献
[編集]- Digitaal Vrouwenlexicon van Nederland: Robertson, Susanne (1855-1922)
- Slagter, Erik Suze Robertson in Ons Erfdeel, jaargang 28, 1985
- Biografische gegevens bij het RKD-Nederlands Instituut voor Kunstgeschiedenis
- Allgemeines Künstlerlexikon: Bisschop, Susanne