スリラー・イン・マニラ
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開催日 | 1975年10月1日 | |
認定王座 | WBA・WBC世界統一ヘビー級 | |
開催地 | フィリピンマニラケソン | |
会場 | フィリピン・コロシアム | |
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モハメド・アリ 対 ジョー・フレージャー | ||
ザ・グレーテスト | スモーキン・ジョー | |
比較データ | ||
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33歳 | 年齢 | 31歳 |
ケンタッキー州ルイビル | 出身地 | ペンシルベニア州フィラデルフィア |
48勝2敗 (35KO) |
戦績 | 32勝2敗 (27KO) |
WBA・WBC世界統一ヘビー級チャンピオン | 評価 | |
主審 | カルロス・パディーラ・ジュニア | |
副審 | アリ14回終了TKO勝ち |
スリラー・イン・マニラ(Thrilla in Manila)は、1975年10月1日にフィリピンのマニラで行われたプロボクシングWBA・WBC世界統一ヘビー級タイトルマッチ「モハメド・アリ対ジョー・フレージャー第3戦」の通称である。名称は記者会見でフレージャーを侮蔑するアリのセリフ「killa and a thrilla and a chilla, when I get that gorilla in Manila」に由来する。
この試合は、ボクシング史上最高の、そして最も残酷な試合のひとつとされており、両者の3度にわたるライバル関係の頂点であり、アリは2勝1敗で勝利した。この試合は、全世界で推定10億人の視聴者を記録し、そのうち1億人は閉回路シアターテレビで観戦し、50万人はHBOホームケーブルテレビで有料視聴した。
概要
[編集]1974年10月にアリがジョージ・フォアマンから奪ったWBA・WBC統一ヘビー級タイトルの4度目の防衛戦。
約27000人[1]の観客の熱気で最高摂氏49度にまで達した室内会場での消耗戦の末、14回終了後、フレージャーが椅子から立ち上がれず、アリがTKO勝ちした。
評価
[編集]試合内容やイベントの歴史的意義などで評価が分かれている[1]。
エピソード
[編集]海外メディアのために会場の「アラネタ・コロシアム」が「フィリピン・コロシアム」と改名された[2]。のちに「アラネタ・コロシアム」に再改名。
フィリピン国民が試合を観戦するため、フェルディナンド・マルコス大統領の宣言により特別に休日となった[2]。
脚注
[編集]- ^ a b The Myth of “The Thrilla in Manila”boxing.com 2012年9月30日
- ^ a b The drama that was the ‘Thrilla in Manila’マニラ・タイムズ 2017年10月1日