ジョン・レスリー (第6代ロシズ伯爵)
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第6代ロシズ伯爵ジョン・レスリー(英: John Leslie, 6th Earl of Rothes、1600年 - 1641年8月23日)は、清教徒革命期のスコットランドの貴族。監督制を強化しようとしたチャールズ1世に反対し、長老制を支持したカヴェナンター(盟約派)の指導者の一人。
生涯
[編集]第5代ロシズ伯爵アンドルー・レスリーの息子であるジェイムズ・レスリーと、その2人目の妻キャサリン・ドラモンドの間に生まれた[1][2][3]。1607年に父親が襲爵前に死去して以後は、祖父の爵位の相続人としてレスリー卿の儀礼称号で称された[要出典]。
1611年、祖父の死去により14歳で爵位を相続[2][3]。
1641年にロンドンのリッチモンドで死去、ファイフ州レスリーに葬られた[2]。爵位は息子のジョンが継承した[1][2][3]。
子女
[編集]1614年に第19代マー伯爵ジョン・アースキンの娘アンと結婚した[1][2][3]。彼女との間に一男二女をもうけた[2]。
- メアリー (1625年以前 - 1640年) - 第7代エグリントン伯爵ヒュー・モンゴメリー夫人
- ジョン (1630年 - 1681年) - 第7代ロシズ伯爵(1641年襲爵)、初代ロシズ公爵(1681年叙爵)
- マーガレット(1621年 - 1688年) - バルゴニー卿アレクサンダー・レズリー(初代リーヴェン伯爵アレクサンダー・レズリーの息子)夫人、第2代バクルー伯爵フランシス・スコット夫人、第2代ウィームズ伯爵デイヴィッド・ウィームズ夫人
脚注
[編集]- ^ a b c Lundy, Darryl. “John Leslie, 6th Earl of Rothes” (英語). thepeerage.com. 2011年10月3日閲覧。
- ^ a b c d e f Paul, James Balfour, Sir [in 英語], ed. (1910). "LESLIE, EARL OF ROTHES". The Scots peerage (英語). Vol. 7. Edinburgh: David Douglas. pp. 297–299. 2011年10月2日閲覧。
- ^ a b c d Douglas, Robert, Sir, bart. [in 英語], ed. (1764). "LESLIE Earl of Rothes.". The peerage of Scotland (英語). Edinburgh: R. Fleming. pp. 588–589. 2011年10月1日閲覧。
外部リンク
[編集]- Henderson, Thomas Finlayson (1893). "Leslie, John (1600-1641)". In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 33. London: Smith, Elder & Co. pp. 99–101.
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