ジュール・ロラン
ジュール・ロラン Jules Laurens | |
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Jules Didierによる肖像画 | |
生誕 |
1825年7月27日 フランス、カルパントラ |
死没 |
1901年5月5日 フランス、Saint-Didier |
運動・動向 | オリエンタリズム |
ジュール・ロラン(Jules Laurens、 1825年7月27日 - 1901年5月5日)はフランスの画家である。パリの美術学校で学んだあと、地理学者、グザヴィエ・オメール・ド・エルとトルコからペルシャへの探検を行い、帰国後は、中東の風景を題材に描いた「オリエンタリズム」の画家の一人となった。
略歴
[編集]フランス南部のヴォクリューズ県のカルパントラに生まれた。兄に音楽家、画家のジャン=ジョゼフ・ボナバンチュール・ロラン(Jean-Joseph Bonaventure Laurens: 1801-1890)がいる。ロランは12歳になった時、兄が活動していたモンペリエに移り、モンペリエの美術学校で、モンペリエ出身の画家、アレクサンドル・カバネルと共に学んだ。1842年から1846年の間はパリ国立高等美術学校で学び、ポール・ドラローシュの工房でも学んだ。1845年にローマ賞に挑戦するが受賞することはできなかった。
地理学者で探検家のグザヴィエ・オメール・ド・エル(Xavier Hommaire de Hell: 1812-1848)と知り合い、南西ヨーロッパやギリシャの調査に画家として帯同した後、1847年からオメール・ド・エルと2人だけで黒海を渡りトルコのトラブゾンから、ペルシャに入った。グザヴィエ・オメール・ド・エルが1848年8月末にエスファハーンで病死したため、探検調査は中断され、ロランはオメール・ド・エルの研究報告と、ペルシャなどの遺跡や人々の日常を描いた数百点のスケッチ、ペルシャのガージャール朝の美術品などを携えて帰国した。
1850年から1880年の間はパリで活動し、毎年パリなどの展覧会に出展し、書籍の挿絵も描き、オメール・ド・エルの未亡人が編集して出版されたオメール・ド・エルの探検記「 Voyage en Turquie et en Perse exécuté par ordre du gouvernement français pendant les années 1846, 1847 et 1848 par Xavier Hommaire de Hell」(Paris, 1856-59)の挿絵も描いた。
1880年にプロヴァンスに移り、兄の伝記を出版し有名な芸術家たちとの回想も出版した。
作品
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タブリーズ(ペルシャ)のモスク
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ペルシャの要塞化された村
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テヘランの集会所
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トルコの岩山
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小アジアの都市の城門
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グザヴィエ・オメール・ド・エルの肖像画
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「ル・トゥール・デュ・モンド」の挿絵、ペルシャの人々
参考文献
[編集]- Bénézit, Dictionnaire des peintres, sculpteurs, dessinateurs et graveurs
- Léon-Honoré Labande, Jules Laurens, - H. Champion, Parigi, 1910
- Marie-Laure Hallopeau, Jules Laurens en Auvergne, - Catalogo dell'esposizione al Museo Bargoin di Clermont-Ferrand, (Giugno – ottobre 1975), Edito da G. Delaunay, 1975
- André Alauzen Di Genova, Dictionnaire des peintres et sculpteurs de Provence, Alpes, Côte d'Azur, - Edizioni Jeanne Lafitte, 1986
- Lynne Thornton, Les Orientalistes Peintres voyageurs, - ACR Edizioni "Poche Couleur", Courbevoie, 1994 - ISBN 9782867700606
- Jean-Paul Chabaud (a cura di), Peintres autour du Ventoux, - Edizioni Barthélémy, 2000