ジャウフレ・リュデル

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トリポリ伯夫人オディエルナの腕の中で息絶えるジャウフレ・リュデル

ジャウフレ・リュデルJaufré Rudel)は、ブレ(Blaye、現ジロンド県)出身の下級貴族トルバドール12世紀に活躍した。「遠くからの恋 amor de lonh」という概念を展開したことで著名。日本の音楽学者からは、現代フランス語によってジョフレ・リュデルと呼ばれている。

概要[編集]

生涯についてはほとんどが不明であるが、同時代の資料によると、1147年に「海を渡って」第2回十字軍に参加したという。伝説めいた、虚実交えた『略伝(ヴィーダ)』によると、ジャウフレ・リュデルは、美貌のトリポリ伯夫人オディエルナが聖地巡礼から戻ったことを聞き付け、オディエルナを自分の「遠くからの恋」の女神とした。十字軍の遠征中に病に倒れ、レバノンのトリポリに到着した時には余命いくばくもない状態だった。その報せに、オディエルナは城郭を飛び出し、リュデルを両腕に抱きながらその最期を看取ったという。このロマンティックだが到底ありそうもない話は、リュデルの詩の謎めいた性格から派生したものであり、十字軍の遠征中に死んだことが当たり前とされていたことがわかる。

リュデルの詩は、こんにち7点が現存し、そのうち7点は音楽も残されている。「遙かなる恋人」 (聖母マリアか)の主題はトルバドール抒情詩のうちでも重要なものの一つで、ペトラルカ以下、恋愛詩の一系譜をなす。リュデルの歌《五月に陽の長くなる頃 Lanquan li jorn》は、ミンネゼンガーヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデのによる歌《 Allerest lebe ich mir werde》のモデルになったと見做されている。以下に彼のカンソの一部を紹介する。

『カンソ』【前半】 【後半】

日のながい五月になれば
遙かなる小鳥の歌のこころよく
かの地より こうして遠く離れては
遙かなる恋人をこそ思いおもう。
愛執に こころおもく うち沈み
小鳥の歌も さんざしの花も
はや冬の霜ほどの喜びもあたえてくれぬ。


主のまことを信ずればこそ
遙かなる恋人にまみえる日もあろう。
だが この身にめぐりくる一つの不幸も
遙かなる恋人と離れては 二つの不幸
ああ 巡礼となって かの地へ旅立とう
われとわが巡礼の杖と衣が
かの麗人の目にふれるよう念じながら。


いかばかりの喜びであろう 愛の神にかけて
遙かなるかの地に宿を乞うことは。
もし かの人の嘉するならば 宿りしよう
遙かなる離居の身ながら かの人のそばに。
交わす言葉は さぞや楽しいものとなろう
遠別の恋人同士があい寄って
甘い愛の誓言をちぎるならば。


悲しくも喜びにみちて暇を告げよう
遙かなる恋人のまみえたのちは。
だが かの人といつ会えるのかわからない。
遙かに遠く われらの国は離れていても
かの地へみちびく道は多く
それ故踏み迷うことはないのに。
だが すべては神の御意のうちにある。

愛の喜びを知ることはもはやあるまい。
遙かなる遠国にも また近国にも
それにまさる美姫佳人とてない
遙かなるかの恋人による愉楽のほかは。
かの人の徳の かくまでに善美ならば
かの遠いサラセンの王国に
囚われの身となることを わたしは願おう。


生けとし生けるものを創造し
遙かなる恋人をつくりたまいし神よ
わたしの知らぬその力を授けたまえ
遙かなるこの恋人に いかなる宿にても
現実にまみえることのできる力を。
そのときは いかなる部屋 いかなる庭も
この目には王宮と映るであろう。


よくぞ言った わたしのことを
遙かなる恋人に愛着し 執していると呼ぶ者は、
いかなる愉楽も まさりはしないのだから
遙かなる恋人のあたえる愉楽には。
だが 愛する人はわたしを嫌っている。
わが運命は
愛しこそすれ愛されぬ定めなのだ。


だが 愛する人はわたしを嫌っている。
愛しこそすれ愛されぬ定めの
わが運命よ 呪われよ!

フランスの戯曲作家エドモン・ロスタンは、この伝説をもとに1895年に戯曲『遙かなる姫君 La Princesse lointaine』を完成させたが、ヒロインの役をオディエルナではなく、その娘メリザンド(Melisende)に置き換えている。この戯曲はサラ・ベルナールによって演じられ、公演告知ポスターはミュシャによって作成された。

現代フィンランドの女性作曲家カイヤ・サーリアホは、リュデルに関するオペラ《遙かなる恋人 L'amour de loin》を作曲した。

外部リンク[編集]