ジェームズ・スティルマン
ジェームズ・スティルマン James Stillman | |
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生誕 |
1850年6月9日 テキサス州ブラウンズビル |
死没 | 1918年3月15日 (67歳没) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | 実業家、銀行家 |
純資産 | $7,700万ドル(死去時の遺産総額。当時の米国GNPの989分の1。)[1] |
配偶者 | サラ・エリザベス・ランリル(Sarah Elizabeth Rumrill) |
ジェームズ・スティルマン(英語: James Jewett Stillman、1850年6月9日 - 1918年3月15日)は、アメリカ合衆国の実業家、銀行家。ニューヨーク、テキサス、メキシコで不動産業、銀行業、鉄道業などを手掛け、1891年から1909年までナショナル・シティ銀行(シティバンクの前身)の頭取を務めた。
生涯
[編集]1850年6月、テキサス州ブラウンズビルにて、チャールズ・スティルマン(Charles Stillman)とエリザベス・パメラ・スティルマン(旧姓グッドリッチ)との間に生まれる。1872年、テキサス州内の16の銀行と、テキサス南部リオグランデ・バレーのコーパスクリスティとカービルの不動産など、父チャールズがニューヨーク、テキサス、メキシコに築いた金融・不動産王国を引き継いだ[2]。また、W・H・ハリマン、ジェイコブ・シフ、ウィリアム・ロックフェラーらと共に、テキサス・アンド・パシフィック鉄道、サザン・パシフィック鉄道、インターナショナル・グレート・ノーザン鉄道、ユニオン・パシフィック・サザン鉄道、セントルイス・ブラウンビル・アンド・メキシコ鉄道など、テキサスの主要な鉄道会社を掌握した。
1876年にはメキシコの軍人・政治家ポルフィリオ・ディアスの武装蜂起を支援している[2]。
1891年から1909年までナショナル・シティ銀行の頭取、1909年からは同行取締役会長を務め、1918年に会長職在職のまま死去した[3]。
死後
[編集]莫大な遺産を遺し、「100人の裕福なアメリカ人」の一人に選ばれたこともある[1]。 長男ジェームズ・A・スティルマンも後にナショナル・シティ銀行頭取を務めた。またスティルマンの2人の娘サラとイザベルは、それぞれスタンダード・オイル社幹部であるウィリアム・ロックフェラーの息子ウィリアムおよびパーシーと結婚している。孫のJames Stillman Rockefeller ジェームズ・スティルマン・ロックフェラー(1902-2004)は1952年から1959年までナショナル・シティ銀行頭取(ナショナル・シティ銀行は、1955年にニューヨーク・ファースト・ナショナル銀行と合併し「ファースト・ナショナル・シティバンク・オブ・ニューヨーク」となっている)、1959年から1967年までは同行会長を務めた。
脚注
[編集]- ^ a b Klepper, Michael; Gunther, Michael (1996), The Wealthy 100: From Benjamin Franklin to Bill Gates—A Ranking of the Richest Americans, Past and Present, シコーカス (ニュージャージー州): Carol Publishing Group, p. xi, ISBN 9780806518008, OCLC 33818143
- ^ a b John Mason Hart. “STILLMAN, JAMES”. The Handbook of Texas Online. テキサス州立歴史協会(Texas State Historical Association). 2012年5月1日閲覧。
- ^ ロバート・F・ブルナー、ショーン・D・カー著 雨宮寛、今井章子訳『ザ・パニック 1907年金融恐慌の真相』東洋経済新報社、2009年。ISBN 978-4-492-44361-3。, pp. 312-313
関連文献
[編集]- John K. Winkler, The First Billion: The Stillmans and the National City Bank (New York: Vanguard, 1934).