カンデー・ラーオ・ダーバーデー
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カンデー・ラーオ・ダーバーデー(マラーティー語:खंडेराव दाभाडे, Khande Rao Dabhade, 1665年頃 - 1729年9月27日)は、インドのデカン地方、マラーター王国の軍総司令官(セーナーパティ)。
歴史
[編集]1665年頃、イェーサージー・ダーバーデーの息子として生まれた。父はマラーターの指導者でマラーター王国の創始者シヴァージーに仕えていた。
1705年以降、カンデー・ラーオはサルダールとして、マラーター軍を連れてグジャラートへ遠征した。この際、グジャラートに勢力基盤を持った。1716年に王都サーターラーへと戻った。
1717年11月11日、カンデー・ラーオはマラーター王シャーフーにより、軍総司令官に任命された[1]。
1720年から1721年にかけて、カンデー・ラーオはインドゥリーに城を建築した。
1729年9月27日、カンデー・ラーオは死亡した。その後、1730年1月8日に息子であるトリンバク・ラーオ・ダーバーデーがシャーフーの命によりその地位を継承した[2][3]。
だが、トリンバク・ラーオは父が勢力を築いたグジャラートを利用し、ニザーム王国と組んで王国に反旗を翻したため、1731年4月1日に宰相バージー・ラーオによってグジャラートのダバイーで掃滅された(ダバイーの戦い)[3][4]。
脚注
[編集]- ^ Henry Soszynski. “Talegaon Dabhade”. Uqconnect.net. 2011年8月6日閲覧。
- ^ Madhya Pradesh Through the Ages, p357
- ^ a b 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.215
- ^ Advance Study in the History of Modern India (Volume-1 1707-1803) - G.S.Chhabra - Google ブックス
参考文献
[編集]- 小谷汪之編『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』山川出版社、2007年