エレオノーレ・ソフィア・マリア・ヴェステンホルツ
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エレオノーレ・ソフィア・マリア・ヴェステンホルツ Eleonore Sophia Maria Westenholtz | |
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生誕 |
1759年7月10日 ノイブランデンブルク |
死没 | 1838年10月4日(79歳没) |
ジャンル | 古典派音楽 |
職業 |
作曲家 歌手 |
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2021年6月) |
エレオノーレ・ソフィア・マリア・ヴェステンホルツはドイツの作曲家、歌手、音楽教師[1]。
生涯
[編集]教会のオルガン奏者であった父のもと、ドイツのノイブランデンブルクに生まれる[1]。
10歳のときにメクレンブルク=シュヴェリーン公国のルートヴィヒ王子に招かれ、ピアノと声楽を習い始め、16歳のときには公国の宮廷音楽家となった[1]。18歳のときに公国の宮廷楽長であったヴェステンホルツと結婚し、8児をもうけている[1]。この頃には作曲家・ピアニスト・歌手以外にも音楽教師・グラスハーモニカ奏者として活躍し、ベルリン・ライプツィヒ・ロストック等で演奏旅行も行っている[1]。1780年代には、特に歌曲作品とグラスハーモニカによる超絶技巧作品が称賛を受け、高名な音楽家として評価されていた[1]。また、モーツァルトの作品を好み、自身のコンサートでも自作曲と併せて演奏していた[1]。
1789年に楽長の夫が亡くなり、更にその3年後に夫の後任であった楽長が相次いで亡くなると、彼女は宮廷の指導者的な立場になり、宮廷楽団の弾き振りもおこなうようになった[1]。その後20年以上宮廷で働き、1821年に年金を約束されたうえで退職したが、その後も1838年に亡くなるまで歌手として活躍した。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 宮崎貴子「聴いてみませんか?弾いてみませんか? 女性作曲家作品あれこれ」『ショパン』第37巻第8号、株式会社ハンナ、2020年8月、60頁。