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エマ・ド・パリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エマ・ド・パリ
Emma de Paris

出生 943年
死去 968年3月19日
配偶者 ノルマンディー公リシャール1世
家名 ロベール家
父親 ユーグ大公
母親 ハトヴィヒ・フォン・ザクセン
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エマ・ド・パリフランス語:Emma de Paris, 943年 - 968年3月19日)は、ノルマンディー公リシャール1世の妃。パリ伯ユーグ大公ハトヴィヒ・フォン・ザクセンの娘で、フランス王ユーグ・カペーの妹。

生涯

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エマは幼少期に、フランス王家に対抗するため、ノルマンディー公家とロベール家の同盟の一環としてリシャール1世と婚約した。この結婚は960年に行われた。特に987年にエマの弟が国王になって以降は、この結婚はノルマンディーに有益な立場を与えた[1]。エマはエマ・ド・ノルマンディーの母親とされることもあるが、これは年代的に不可能である。エマは子供を残さずに死去した[1]

脚注

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  1. ^ a b Christopher Harper-Bill, Elisabeth Van Houts (2007). A Companion to the Anglo-Norman World. Boydell & Brewer Ltd. p. 26