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ウィリアム・アンズリー (第4代アンズリー伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カミーユ・シルヴィによる肖像写真、1860年。

第4代アンズリー伯爵ウィリアム・リチャード・アンズリー英語: William Richard Annesley, 4th Earl Annesley1830年2月21日1874年8月10日)は、イギリスの政治家、アイルランド貴族。1852年から1857年まで庶民院議員を、1867年から1874年までアイルランド貴族代表議員を務めた[1]

生涯

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カースルウェラン城英語版、2008年撮影。

第3代アンズリー伯爵ウィリアム・リチャード・アンズリー英語版と2人目の妻プリシラ・セシリア(Priscilla Cecilia、旧姓ムーア(Moore)、1808年9月8日 – 1891年3月29日、ヒュー・ムーアの次女)の息子として、1830年2月21日にダブリンラトランド・スクエア英語版(現パーネル・スクエア)で生まれ、5月11日にダブリンのセント・トマス教会英語版で洗礼を受けた[1]。1847年7月5日、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学した[2]

1838年8月25日に父が死去すると、アンズリー伯爵位を継承したが、アイルランド貴族としての権利が正式に認められたのは1855年7月24日のことだった[1]1852年イギリス総選挙保守党候補としてグレート・グリムズビー選挙区英語版から出馬、ホイッグ党候補で現職議員のエドワード・ヘニッジ英語版を347票対286票で下して当選した[3]1857年イギリス総選挙に出馬せず、議員を退任した[3]。その後、1867年にアイルランド貴族代表議員に選出された[1]

1856年、ダウン県カースルウェラン英語版の領地でカースルウェラン城英語版ウィリアム・バーン英語版設計)の建設をはじめ、1858年に完成した[4]

1874年8月10日、生涯未婚のままワイト島カウズ英語版で死去、弟ヒュー英語版が爵位を継承した[1]

出典

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  1. ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 171–172.
  2. ^ "Annesley, William Richard [Earl Annesley]. (ANSY847WR)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ a b Craig, F. W. S. (1977). British parliamentary election results 1832–1885 (英語). London: The Macmillan Press. p. 135. ISBN 978-1-349-02349-3
  4. ^ Montgomery-Massingberd, Hugh; Bence Jones, Mark (1978). Burke's Guide to Country Houses (英語). Vol. I. London: Burke's Peerage. p. 79. ISBN 0-85011-026-2

外部リンク

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グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
エドワード・ヘニッジ英語版
庶民院議員(グレート・グリムズビー選挙区英語版選出)
1852年1857年
次代
ウォーズリー卿英語版
アイルランドの爵位
先代
ウィリアム・リチャード・アンズリー英語版
アンズリー伯爵
1838年 – 1874年
次代
ヒュー・アンズリー英語版